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カテゴリ:人格統合取り組みみたいなもの
私の中で、調子のよい時は有頂天になり、ちょっとでも調子が悪くなると恨みを持つ性質がある。
これも分裂人格なのかもしれないが、そういう性質が「在る」というのがわかっても、人格としては接触できない。 ただ、この極端から極端に走る、というのは私の中では結構あることで、この捉えどころのない人格が関与しているように見える。 多分この子が些細なことで感動して涙を流し、ちょっとした事で怒り恨み、ささやかな事で笑い転げ、感情にどっぷりつかって表現しているようだ。 それらは幼いころに全て親によって拒否されてきた。 場所をわきまえない、内容をわきまえない、相手をわきまえない、等など言われて。 何故自分を素直に出してダメなのかを聞いても、ヒステリーと共に拒否されたことしか覚えが無い。 ちなみに幼稚園から小学校低学年の間の事だ。 【鬱人格】と通じる点もあるが、【鬱人格】はその中でも特に恨みとか怒りと共に、無価値観や自己否定が多いので、感情的に振り回されているのとはちょっとだけ違う。 もっともその根拠が【分析者】が取り込んだ色々な外の価値観。 そこに合致しない部分の自分が、【鬱人格】として分裂してしまったようだ。 そう考えるとこの二人は無関係じゃない。 【ゴスロリ】娘は【眠り姫】と【鬱人格】も含め、対外的な鎧の役割を演じていた。 ひょっとして【ゴスロリ】は【鬱人格】の対外面なのかな? この二人は本当は一人なのかな? 【鬱人格】が出てきたと同時に【ゴスロリ】とはアクセスしにくくなった。 それは置いておいて。 感情的になって感傷的なこの自分は、時には傲慢となり、時には卑屈となって現われれる。 そのエネルギーは私を乗っ取って、他の事には考えをいかなくさせる。 今は私が私の中に観察者を置いているので、直ぐに気付いた。 この感情の上下の幅の開きは一体何だろう、と思う。 コロコロと変わる、捕えがたいこの子を取りあえず、【感情人格】と名付けておく。 時には他の人格に浸っているので、注意が必要だな。 最近思うようになったのは、分裂人格があるのが問題なのではなく、分裂人格の表への現われ方が、ハートに基づいていないのが問題なんだな、と改めて思った。 【分析者】の文章が人によってはとてもわかりやすいのと同じで、【分析者】がハートに基づいて出てくる分には問題じゃない。 彼女が外の価値観を分析して、ハートに基づかずにそれを自他に押し付けをしたら問題なのだ。 私は、分裂人格=問題のあるどうにかしないといけないもの、という風にとらえていたから、行き詰っていたのかもしれない。 本を読んで、頭で分かっていてもハートで理解できないと、腑に落ちないと本当には出来ないんだなと改めて感じた。 お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
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