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カテゴリ:人格統合取り組みみたいなもの
【怒り人格】?をちゃんと認識してから、昔持っていた怒りというかネガティブエネルギーが、表面化している気がする。
手放したつもりで、ただ深く封印しているだけだったんだなって思う。 死ねばいい! 私を苛立たせるもの、ムカつかせるもの、それを持ってくる者は全員死ねばいい。 私が怒るのを面白がって手を出す奴らも死ねばいい。 私が私である事を否定する奴らは死ねばいい。 私の邪魔をする奴は死ねばいい。 いじめる奴は苦しんで死ねばいい。 みんな死んで居なくなってしまえばいい。 嫌いだ。 自分なんて大っきらいだ。 何で思ったように出来ないのか。 何故その時に気づかないのか。 何故こんなにみっともない事をしているのか。 こんな自分なんて無くなればいいのに。 みんなを憎んで、周りを憎んで、自分さえも憎んで怒っていた私。 でも根っこにあるのは、私が「私」である事を否定された疑問、悲しみ、怒りなんですよね。 否定されたから、周りを否定した。 否定されるしかない自分を否定した。 一種パラドックスだけど、自己肯定をしなくてはダメだよ、というけれど、その根底には幼い頃の絶対的な他者肯定がないと、私たちは絶対的な自己肯定は出来難い。 自己肯定をしたつもりにはなれるけど。 特に他者から否定されて傷ついた自分をを無視して見ないふりをしたままだと、余計に難しい。 根っこにあるのは。 愛して欲しい。 どんな自分でも愛して欲しい。 否定しないでほしい。 ありのままの私を愛して欲しい。 純粋にそれだけなんですよね。 でもそれがかなわなかった。 人として、私そのものを否定された。 私そのものだと愛されないと突きつけられた。 だからこその怒り。 やった事が間違っていたなら、それは怒られても仕方がない。 本当は愛しているのなら、それは届くし分かるよ。 何が悪かったのか、これからどうすればいいのか、教えてくれればわかるよ。 でもやったことだけでなく、私のそのものさえも否定された。 愛されるどころが憎まれ、傷つけられた。 全てを否定され、手も足もなくされそうだった。 それは嫌だ。 私は手も足も髪の毛一本でさえも私だ。 貴方じゃない。 勝手に貴方の自由にしないで! 私は私だよっ! 貴方から出てきたけど、私は貴方じゃないよっ!! だからこその怒りでもあり憎しみでもあり、悲しみでもある。 否定されて純粋な私は周りを拒否して【眠り姫】になり、この怒りを切り離して絶望だけを見る【悲観人格】が出てきた。 昔の怒りは、今から見ればとても幼稚な事もあるけれど、その分純粋なものでもある。 幼い視点で狭い視野で見たものなので、それはそれでちゃんと説明をしないといけないんだろうな~、この人格に。 そう言えば、高校生の頃に本気で 「私の母は私にそっくりな、でも母の言うとおりに動くお人形と私が入れ替わっても、良い子になったと喜んでその事に気付かないんだろうな。私はいてもいなくてもどっちでもいいんだろうな」 と思っていた。 多分これが下地になって思っていたんだろう。 つーことは【怒り人格】って【女子高生】のインチャでもあるのかな?? 私のインチャである事は確実だけどね。 ま、そんな事はどうでもいい。 怒りと共に自己否定を繰り返していたのは、結構近い過去だったりする。 そんな自分が嫌になって、変ろうとして変ってきた。 でも結局昔が癒えてないのに変えようとしても、やはり何処か歪んでいたのかもしれない。 【怒り人格】の怒りや恨み自体は、もちろん短絡的・視覚狭窄なものもたくさんありますが、ある程度もっともだと思うので、まずはそれを開放していきたいと思います。 視野を広げていって納得した事を共有出来れば、少しづつハートが開いていくかな? いくといいな。 お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
Last updated
2010.03.28 19:51:18
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