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カテゴリ:自分を変えたい
人と接していると、どうしてもこれ以上進展のない不毛な状態になる事がたまにあります。
例え何が起ころうとも、どんな状態になろうとも、お互いか解決を模索しているのであれば、例えどんな状態になろうとも、進展はしていくものです。 ところが片方が自分の状態に固執すると~特に片方が自分が正しくて、相手が折れるべきだと思い込むと~もう片方がどれだけ言葉や心を尽くしても、何も届かなくなります。 そしてそこから進展も発展も解決も何も出来なくなります。 その場合、それでも信じて留まる人と、一度離れて行く人、見捨てて戻って来ない人が出てきます。 留まる人は取りあえず置いておいて。 一度離れる人も見捨てる人も、おいて行かれる人にとってはその時は両方とも「見捨てた」というカテゴリーに入るかもしれません。 でもこの「離れる」と「見捨てる」ではかなり天と地との差があります。 離れる人、というのは確かに心情的に遠く離れれてしまうので、見捨てたと同じ状態になるかもしれません。 でもこの場合、色々な意味で離れていても、実は遠くからちゃんと見ていたりします。 その人が進歩しているのか、未だにそこに留まっているのか。 時には直接じゃなくてもヒントや手助けを出して、その人の成長を促していたりします。 もし置いて行かれた人が進歩してお互いに問題解決が出来る状態になったら、またはなったと感じたら、その人はまた戻ってきます。 そうしておいて行かれた人がちゃんと成長していれば、そこからまた問題解決をし、付き合いが再開する事もあるのです。 一方で見捨てる人はそれこそ本当に「捨てた」ので、置いてきた人の事を見てません。 置いてきた人が今後成長しようと、そこに何時までも留まっていようとまるっきり関心がありません。 時には置いてきた人の事を思いっきり避けて歩いて行きます。 ですからもし再び道が交える事があったとしても、その人の事をスルーして、もしくは最低限の付き合いだけして、何処か行ってしまいます。 取りつく島がないのです。 ですからもし貴方の周りの人が不自然に離れて行ったら、どちらなのかをちゃんと見極めた方が良いでしょう。 同時に不自然に離れて行く人がいれば、一度自分の中を見つめる必要もあります。 「向こうの事情で向こうが悪いのよ」 と割り切ってしまう事も可能ですし、そう言う事もあります。 ですがあまりにも多い場合は、基本的には自分に何らかの問題があるのです。 見たくないかもしれませんし、あまりにも見たくなくて蓋をして分からなくなっているかもしれませんが、一度それはちゃんと見つめて解決していくようにした方が無難だと思います。 どちらにしても離れて行く人も見捨てる人も、その問題を解決しないと、カルマとしてまた繰り返すのは同じです。 離れて行く人はまだ問題解決を諦めていない人、見捨てて行く人は問題解決を放棄した人、とみなすことが出来ます。 そこからどう行くかはそれぞれの自由な選択です。 置いて行かれた方はその人がどちらに属するか分からない場合、一度連絡を取ると良いでしょう。 どちらにしても、返事が来ないのであれば見捨てた人、また再び付き合いが始まるのであれば、「離れた」人だと思えばいいのです。 もし見捨てられたとしても、貴方がその人に感謝の念をおくる事が出来れば、それはそれでOKなのです。 それは貴方の成長なので、胸を張ればいいと思います。 もしそこで恨みや怒りが発するのであれば、貴方はまだまだ成長の余地があり、その人からみ抜かれ、却下がされただけなのです。 またそれを受けた側も拒否するか受け入れるかは個人の判断だと思います。 成長して進展があれば受けるだろうし、まだ駄目だなと思えば却下すれば良いですから。 どちらにしても個々が成長していけば、どんな問題も自然に解決していくのかもしれないです。 お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
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