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カテゴリ:人格統合取り組みみたいなもの
先日色々あって、改めてブラックな自分を発見しました。
ブラックな自分というのは、他人の不幸や転落を願いそれを見て笑っている自分です。 「ふふん、どんどん堕ちて不幸になってしまえ!ザマアミロ」 そう言って笑う自分。 見て見ぬふりをするにはその子は、私の感情やその他の支配率が高くなっていて、みざる得なかったのです。 そんな自分はダメだ。 そう思っちゃいけない。 何で私はそんなに汚いのか。 と何時ものように押し込めようとして、見ないふりをしたがって、ふと違うんじゃないかな、というのに気付き。 その子を正面切って見ることに。 まずその気持ちを切り離し、一人の人格として認識してみる事から始めたのですが、最初はどうしていいのか分からなかったです、正直言って。 その子が望むのは相手の不幸、不運、堕落、呪いなど闇の落ちて行くことばっかり。 でもそれを認めたら、ハートに基づいた愛の対応とは違う、というのは本能的に察知しました。 望みを認めない事がまず第一、という他の人格さんたちとは対応を変えざる得なかったのは、仕方ないとは言え、正直本当にハートに基づいた行動なのか、自分が悩み。 変なものに入りこまれたかな~、油断したかな~、やっぱり切り捨てるしかないかな~とか思った事もありました。 でもそう思っちゃったことの原因って何だろう?と思った時にピピピッと来たのが、他の子供たちから不幸を願われた事があったのを思い出しました。 「お前なんか死ね!」 「不幸になれ!ザマーミロ」 「いなくなれば、みんなが幸せになる!」 そう投げかけられた言葉は自分の心を傷つけました。 そしてそう言いながらゲラゲラ笑うその子たちに、怒りを感じたのです。 そこから 「赦さない!仕返ししてやる!同じ気持ちを味わせてやる!私を見て笑っているお前たちの方が不幸になればいいんだ!」 という気持ちが湧きあがり……。 不幸になったらそれを見て上から嗤ってやる! 落ちればいい!どんどん闇に落ちて苦しめばいい! そう願い自分が出て来て。 根っこは言われて傷ついて悲しんで怒っている自分なのに。 そのケアが出来てない為に、他人の不幸を望み願う自分がいるんだと分かった時には哀しくなりました。 どれだけ。 どれだけ私は私の気持ちを切り捨てて、見ないふりして、放りっぱなしで生きているんだろう? 傷ついて血を流したまま放り投げられた自分は、その悲しみと怒りの分だけ、私が不幸なる事を望んでしまう。 それが更に自分自身を傷つけると分かっても、自分の傷が治らない限りそれが止められない。 どれだけ闇にまみれていても、救いようが無いように見えてもやっぱりそれは自分なのだ。 自分は自分だから切り捨てる事などする必要はないのだ。 自分の中にある気持ちや感情や想いは、悪いもの何て本当に無いのだと改めて感じる。 「不幸を優しく受け止めてしまえ」 最初に意味が分からなかったこの言葉の、本当の意味が最近分かってきた。 包んでハグして愛にくるむ必要があるのだと。 そうしないと不幸は不幸という名で私たちを振り回すのだ。 ブラックな自分はまだまだケアは不十分だけど、まずは居るのを認めてあげるのが大事だなって思う。 この子にハートを開かせること、そしてこの子を成長させること。 それが自分を育てることにもつながるなって思う。 時には間違ったり飲み込まれたりするだろうけど、でもそうやって寄り添って行くのが一番の近道だと思うから。 ブラックな自分を慈しみたいと思います。 お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
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