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カテゴリ:人格統合取り組みみたいなもの
いきなり今朝、昨日までは静かに怒る「怒り人格」に乗っ取られていたな、と言うのに気付いた。
「分裂人格に乗っ取られている時は、それに気づくのが困難だ」 とは本を読んで知っていたが、今回その差をさまざまと感じた。 行動がハートに基づいていないアレコレを、ハートに基づいていると思っていた。 だからと言ってやった行動が間違っていたか、とかはどうでもよくて。 その時の私の思うがままに行動したのは、確かなのでそれはそれで私の中では、抑圧しなかったという点でOKがでるのだが。 おいておいて。 乗っ取られていた、と言っても結局自分だから、自分が感じてその時の自分の真実を語り・行っているのは間違いがない。 良し悪しというよりも、 「ああ、こういうものなんだな」 と改めて実感できたという収穫の方が大きい気がする。 頭でいくら知識を詰め込んで、知っているつもりになっても、実感として知ることの方が何倍も理解が進むものだと、改めて感じる。 落とし穴にはまったのに気付いたから、後は這い出すだけだ。 そして気付いたのだが、もう一人の怒り人格は、誰よりも自分を愛している人格だった。 自分が大切で、自分を傷つけたりないがしろにする人間を、脅かす人間を誰よりも嫌う。 そう言う相手に対して、復習することも、何をしても構わないという過激さも持っている。 大事なものを守るために手段を選ばない。 私は私をずっと嫌っていたが、その裏でずーっと愛して守ろうとしている意識が働いていた。 他の人格が諦めたり、嫌ったり、見ない振りをしていたりしたが、この人格が自分を守ろうとう孤軍奮闘していたのだ。 これは結構新鮮な感覚だった。 誰も守ってくれない、誰も助けてくれない。 そう思っていたその奥で静かに、守ろうとし助けようとしていた。 すごいな、と思う。 私の中に、大事なものを助ける為には一人濡れ衣をかぶっても、孤独になっても、悪モノになっても、周りすべてを敵にまわしても構わない、という強い私がいる。 それはこの怒り人格に属しているのだと思う。 それがハートに基づいて行動できればもっと素晴らしい人格なんだろうと思う。 今の第2の怒り人格の行動がハートに基づいてないか、と問われると、違うともそうだとも、両方言える。 結局私は未だ本当の意味での「ハートに基づいた行動」が分かって無いんだな、今は。 分かって行動している人も、周りにいないしな。 ささやかだけど大きな一歩に気づいた。 お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
Last updated
2010.09.22 19:59:10
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