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カテゴリ:人格統合取り組みみたいなもの
再度、「人格統合vol.2」を読み返しているのですが。
いや、これ、マジで人格統合開始するまで読まないようが良いかも。 読んでも分かって気になってるだけだって思うから。 閑話休題。 私の場合、とにかく主人格が良く分からない。 なので全部取りあえず感じたり会話していたり、という感じです。 で、今日本を読んでいて 「主人格は光の存在では無い」 というのを読んでいて。 余計に訳分からなくなってます。 主人格は全てのあることを受け入れているモノ、ということで。 例えば、mixiの方にはちょっと書いたのですが、昨日ずーーっと内観していて。 自分の矛盾だらけのめちゃくちゃぶりというか、棚上げ状態の自己正当化とか見ていて、思わずめまいがしていたのですが。 まあ、その時にどれだけ自分が物事を世間の評価や善悪でジャッジして、抑圧していたりしたのかを知って、愕然としたが。 思わず逃避したくなることもあったりで、でも 『ここでこれらを受け入れずに見ないふりして、自己正当化するなんて、絶対ダメ!自分でそんなの許せない』 というのがあって、じーっとあるままに、善悪や世間の評価やジャッジ無しでみたのですが。 でもこの感覚ってどちらかと言ったら、プライド人格のモノだったりします。 不出来な自分、逃げたい自分を叱咤激励して、踏ん張る力も持っている。 それに支えられて行くことも結構ある。 今日ちょっとイラッと来ただが、それはどう考えても正当な理由だし。 (ちなみに表現できなかった分、ガンバレ私だが) そう考えると、これは怒り人格のカルマとはまた違う感じだし。 そうやって思うと、何処までが分裂人格で、何処までが主人格の感性なんだろう、という感じで困ってしまう。 とにかく中からわき出るものをまずは受け止め続けるしかないのかな? それをどうやって表現して、オープンにしていくのかを考えるのが、主人格なのかな? まずは主人格であることに試行錯誤しています。 ちなみに、乗っ取られている時は何となく分かる。 すごい視野が狭いし、独善的だから。 それを認めつつ、ハートを通すをするのが、課題なのかも。 そんな感じで試行錯誤中~。 そう言えば、人格の正常化の過程で、どーしても落ちる落とし穴ってありますね。 人格の垂れ流しがそうだし、言い訳もそう。 後はいかに気づくかが大事だなって思う。 気付く力。 これが一番大事なのかも。 お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
Last updated
2010.10.23 20:26:43
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