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カテゴリ:人格統合取り組みみたいなもの
先日からずーっとちょっと変な感覚がありました。
変な、というか違和感というか。 上手く言葉に出来ないのですが、どこかしら何かが「ズレている」とでもいったような感じで。 不可視の膜が周りを覆っていて、直接外と触れ合えないような。 どうも現実感が薄いというか、実感がわかないというか。 違和感があって、おかしいのは分かるけど、何でそうなってしまっているのか、どうしたらいいのかさっぱり分からず。 だからと言って、仕事は支障が無いんですけどね。 これも一種の分裂人格なのかな?と思いつつ、それも探れずにずるずると…。 それと怒り人格が暴走することもあり。 ただこれは多分ご本人は無自覚だろうけど、主人格の意識の強い人がいて、その人の話を聞いていたら気付くことは出来ました。 が。 そっからその暴走を抑えられないんですよね……。 完全に2重意識の状態に入っちゃって。 内面はすごく冷静に、その状態を見ていて、でもどうにかしないとな、と困っている。 もう一つ外側は怒り狂っていて、「てめえ!何様のつもりだっ!年上だから何でもしていいと思うなよっ!!」と思っていて。 怒り人格なのか、完璧主義人格なのか良く分からないけど(同調し過ぎて)そんな状態から、主人格に戻せずにただ見ているしかなく。 それでもそこから「切り捨て」という事をしない様に出来ただけでも良かったことにしよう。 うん、軸の取り戻し方、って何かちゃんとないと、駄目だな、って実感しました。 でもその方法が見つかって無いから、キツイかな。 それとも知らないふりをしたいのかな、私。 それにしても。 我ながら、自分の幼さというか醜さというか、ぐちゃぐちゃのそれらに呆然としたというか。 まあ、元からわかっていたことなんですが、最近受け入れているようで見ないふりをするやり方をやっていたので、ちょっときついです。 解決したつもりでただ単に蓋していただけのことがあり過ぎて。 確かに普通の日常はそうやって過ごしていた方が、きっとすごい楽、に感じる。 そしてそれを知ってしまったので、そこに逃げ込んでいた。 本当はただそれは後送りにしているだけなんだと、気付いてしまったから向き合うけど。 改めて、自分にくっ付いて見てなかったそれらを、ベリッと剥がして、光を当ててその実態を知るという作業の途方の無さを実感する。 光や偉大さを昨年知ることが出来、今年は自分の闇や醜さを知る時が来ている。 段階として、当たり前のこと。 光に逃げ込んでだけいたら、きっとどんどん歪んでいくから。 お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
Last updated
2010.11.24 20:18:13
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