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カテゴリ:人格統合取り組みみたいなもの
最近はあまり感じなくなっていたが、私は結構な人間不信で人間恐怖症でした。
いや、まだ現在進行形かな? 少なくても人間恐怖症は克服できているな。 不信は未だ引きずっている。 大元を見ていくと大きなきっかけはもちろんいじめだけど、それ以前に親に対する不信感がすごい大きかった。 私は要らない子。 お母さんは私なんか欲しくなかった。 気をつけないと捨てられる。 それが幼稚園入る前後からずっとあった。 素直でなく、母にしたら思い通りにならない子供だったから、その言う事を聞かせる為に何でもしていた。 一番は脅しで、 「捨てる」 「あんたなんかうちの子じゃない」 「かわいくない」 「天邪鬼」 「産むんじゃなかった」 などは結構日常茶飯事で言われていた。 だから私は何時か捨てられる、そうしてどこも行くあて無くて死ぬんだ、って漠然と思っていた。 よく覚えてないが、父からもすごい怒られたか怒鳴られたかして、 「お父さんも私なんて本当は要らないんだ」 と深く傷ついた覚えがある。 でも子供のころにそんなことはハッキリ言って信じたくなかった。 だから懸命に違うよね、みたいな確認をして、それを鬱陶しがられて、 「それ以上言ったら本当に捨てる」 と脅されて黙ったことがある。 もちろんそればかりじゃなくて、べたべたに甘やかされていることもあるのだけど、ふとそういう不安は消せずに持っていた。 今思うとその根柢の不安定さが、いじめを呼んだんだと思うのだが。 まあ、それはもう、当たり前だな~、と納得はできている。 だが、そのいじめの時に散々裏切られ、散々バカにされ、ボロボロになるまで罵倒されたのはすごい嫌な想い出で。 下手に本音を行ったり、冗談を言っただけで、悪く言われて仲間外れにされるし、優しい言葉を投げておきながら、 「真面目に取るな、ばーか。誰がテメーなんか優しくするもんか。誰もいねーよそんな奴」 と言われたこともある。 相手が泣くのが面白いというそいつらをすごい恨んで、絶対にこいつらに負けて登校拒否や自殺なんてしてやるものか、という気持ちで生きていた。 そこから他人を信じない、と言う選択をし始めた。 というか、その時はそれしか方法が無かった。 誰を信じていいのか、誰を信じてはダメなのか、それさえもわからなくて、信じられないでいたら、そのことに怒られて裏切られたことも一度や二度じゃなかった。 だから余計に信じてないなど言わなくなった。 何も言わずに信じてなかった。 でもそれじゃハッキリ言って疲れ果てた。 誰も信じず手を借りず、全てを一人でなんて出来なかった。 その代替えとして、部分的に信頼をし始めた。 人として信じられないが、でもここのこういうところは信頼出来る。 だからそこは任せる。 そんな感じ。 だからぱっと見、人間不信バリバリと言う感じではなくなっていた。 でも人は信じられなかった。 信じる為に幾つか試すことをした。 ワザと約束破ってみたり、人を試す言動をしてみたり。 それでOK出ない人でないと、信じなかった。 「人を信じられない」 と伝えて、それでもいいと言ってもらわないと、安心できなかった。 また気の合う人が居ても、逆に相手に気を使い過ぎて、何も出来なかったりもした。 嫌われるのが怖くて、無くすのが怖くて、どうしていいか分からず何も出来なくて、結局疎遠になった人も結構いる。 他人に嫌われて、これ以上いじめられないように沢山の予防線も張っていた。 その中で被害妄想に陥って言ったし、それが嫌で周りの声を聞こえないように、暗示をかけていった。 そしてわざと大きな声で悪口を言う人たちなどは無視できるようになった。 そしてそういう事をする奴は弱くて馬鹿なんだと、言う視点を持ったのもこの辺りからだと思う。 負けないために、これ以上自分が傷ついてへこまないように。 リラの本を読んで、それが傲慢な恥ずかしい在り方なのは分かった。 でも分かってもやっぱりやめられない自分もいる。 それでも信じきれず怖くて怯えている私は確実にいる。 でも、信じられないという場合、少なくても私の場合は、その裏には信じたくて仕方が無い自分が居る。 でも怖くて傷ついて泣いている間は、その「お試し」はどうしてもやりたくなる。 今までの中で、これは信じていいんだ、こういう人は大丈夫なんだ、と分かっているタイプの人にはもうやっていない。 だが、そうじゃない人はどうしても試したくなる。 そして絶対的に駄目な人には最初から試すことさえせずに、最初から信じない。 人間と言うのは自分の都合の悪くなると、平然と相手を切り捨てる生きモノだ。 それに傷つくのが嫌だったら、最初から信じなければいい。 そう言う思考が残っている。 信じろ、と言われて、はいそうですね、といってあっさり終わるほど簡単なものは何もない。 それで終わるなら、それはカルマじゃない。 取りあえず、今吐き出せるのはこれだけだな、人間不信に関して。 これはこれで自分では受け入れていたのだけど。 でも。 これを受け入れるだけじゃなく、ちゃんと解決していくことをし始める時期なのかもしれない。 お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
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