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カテゴリ:人格統合取り組みみたいなもの
そう言えば、リラ関係をもう一つ。
勉強会の日程を確認する為に、久しぶりにリラのホームページに行ったのだが、認定ヒーラーさんが減っていた。 それで確認したら、やっぱり減っていて、理由が辞めたからというか、カルマの吹き出しに耐えられなくて、責任転嫁して去って行ったらしい。 それ以上詳しくは聞かなかったが。 カルマの吹き出し、と言うかそう言う類をやったばっかりだったので、個人的には結構複雑な気分だった。 現在のところ、一旦逃げ出してまた戻ってきた人はいないらしい。 そして、リラを去る時はものすごい責任転嫁して、 「リラがおかしい!」 と言っていなくなるモノだと聞いた。 実際に私も吹き出し中は一旦はリラがやっぱり一般スピグループの用に、結局自分の都合の悪いものは排除するところだったか、と思ったりもした。 実際は違うのだが。 徹底的に自分のあり様の歪み加減を知ることになるので、今までの自分の在り方を否定されているように感じる。 スクールに行くのと勉強会でちまちまやるとのでは、その徹底的の度合いが違うので、私としてはちまちまとやっていく方が今の段階では、合っていると思うのでそうするのだけど。 今までの在り方がどれだけ歪みを生じているか、と言うのを知るのは、まず大事なのだけど、それからどうしていくか、と言う風になるから。 でも、無意識にやっているパターンは、特に自分が正しいと思い込んでいるパターンは、どうしても歪みを指摘されると、存在そのものを否定されているように感じる。 存在そのものを否定されることに、人は耐えれないし、また慣れることはないし、本能的に危機感を感じて反撃をしてしまう。 その場合はどうしても自己正当化と他者を悪者に仕立て上げる、という必要が出てくる。 自分以外が悪ければ、自分は悪くないし、間違ってないし、と言うことになる。 自分の存在や在り方を肯定するには、他人がおかしいと思うのが一番手っ取り早いし、そうすることで自分の存在意義を守れると思うんだろう、たしか。 それは本来一時的なもの。 でもその過ちを認めることさえ難しいと、そのまま責任転嫁して相手を悪く言い続ける、という悪い業を積み続けてしまう。 それがその人の選択なら、ある意味仕方ないと思う。 そしてそれらは私が日常的にやっていることだと思う。 他人がおかしい、他人の言うことが変で、自分がまとも。 そうすることで、自分の価値観や見方を正当化して、自分を守っているのだと思う。 今の社会が相手を否定する文化を強く持っていることでもあるかもしれない。 そうしないと振り回されて、自分がなくなっていく様に感じるからかもしれない。 自分を無くさないための傷つかないための本能的行動かもしれない。 自己正当化するとは、そう言うことなんだと思う。 お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
Last updated
2011.02.16 21:06:40
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