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カテゴリ:人格統合取り組みみたいなもの
昨日ブログを書き終わって、ふと気付いたのだが、やたら逃避していて、物事をちゃんと見たがらないのはリリアのようだった。
良い子・純真人格、と取りあえず設定していて、実際そういう要素は多いんだけど、同時に辛いもの汚いものから目をそらしたがって、綺麗なものだけ見ていたいっていう、逃避と言うか、夢見る夢子人格と言うか、そう言うのを持っていることに気づいた。 ドロドロしたネガティブなものばかり見ていると、やっぱり綺麗なものって見たくなるんですよね。 でもそれ以外を受け付けないって感じなのが、ちょっと何かやっぱりおかしいって感じる所。 ま、いわゆる光・善信仰人格って言う感じだな。 確かに昔ドロドロとしたところに居た時は、そう言う光と言うか夢と言うか、そっちに逃避することによって、なんとか精神を保っていた感じだった。 完全に精神が均衡を崩す前のストッパーな感じと言えば、分かるだろうか。 彼女は綺麗で純粋でないと価値が無い、と思いこんでいる節があり、ちょっとでも辛いことがあると固まってしまうし、見ないように躍起になる。 それでも最初に出て来て、徹底的にコミュニケーションしたためか、ある程度まで必死に踏ん張ることができるようになってはいるのだ。 それが勉強会を逃げなかった要因でもあるな。 でも、でも、こうやってキレイでないと意味が無い、価値が無い、と思いこんで懸命に見たがらない彼女に対して、私は一体どーすればいいのだ? 思わずボー然と立ちつくしてしまう。 自分がガラガラと崩れていく感じ、自分の存在が全て無に帰す絶望的感覚。 無価値観、誰にも認められないという疎外感。 孤独感と圧倒的な寂しさと、誰かに認められたいという切望感と嫌悪感。 そういったものが巣食っている。 ちなみに書きながら、リリアとは対話しているのだけど、必死に自分を「価値ある存在」として確立しようと必死になっている感じがする。 だからこそ価値を否定するものから逃げようとしている。 いや、みんなはね、やったことに対してはアレコレ言ってくるよ。 でも存在そのものを否定するってことはないはずだよ。 言っても聞かない。 純真なままじゃ生きられない。 キレイ事言っていたら生きていけない。 だからそんな存在は居てはダメだ。 もっと汚くなりなさい、悪賢くなりなさい。 騙されるなんてみっともないモノを曝さないで頂戴。 何事も汚くてきれいなモノなんて本当はないんだから。 母親から存在そのものを否定されていた。 いらだち紛れか、自分のストレス解消か、自分の思い通りにならないからか、自分のプライドのためか、そういう心ない言葉が投げかけられていた。 それに傷ついて奥底に閉まってしまった彼女。 傷ついて壊れるまでに投げかけられ続けた、刃物のような言葉。 そして傷つくこと自体がおかしいと、更に言われ続けてしまった。 それでも必死に守って、これ以上否定されてたまるものかと思った自分。 その時の辛さが、まだ残っている。 それゆえに「責められている」と思える状況から徹底的に逃げ続ける。 これ以上辛いことを感じたくないと思っている。 そしてようやく、そう言う純真なキラキラしたものもあっていんだと分かったから、余計にそれにしがみついて、再度否定される事をものすごく怖れている。 感じがする。 逃れのない四面楚歌状態が怖いのは、自分と言う存在を逃げ場もなく、徹底的に否定されたからか。 となったら。 まずは居ていけないってことが無いってことと、誰に何を言われても、存在否定されているんじゃないよってことを教えないとダメなんだな、これは。 そしてそんな否定をする奴がおかしいんだということだな。 さて、納得してくれるだろーか……。 お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
Last updated
2011.02.18 20:41:33
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