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カテゴリ:人格統合取り組みみたいなもの
昨晩お風呂の中で、色々と考えてました。
そして色々な事を考えて、辿って行った結果、 「もう、人間関係で辛い思いを、傷つく経験をしたくない」 と言ってうずくまっている自分がいるのを発見し、思わずそのまましばらく泣いておりました。 誰かを求めても拒絶されたり、馬鹿にされたり、相手にされなかったり。 そんなことはもう嫌だ。 そんな風に傷ついて、誰もいないのなら、もう誰も求めないし、何もしたくない。 誰とも関わらずに生きていきたい。 そんな思いがあふれて来て、すごい泣いてしまいました。 乗り越えたつもりで、未だまだ見ないように蓋しているだけのものって、すごい多いなって思って。 そのままとにかく泣いてましたね。 何かしようとか、方向転換をさせようとか、視点を変えようとか、そんなこと何の意味もないなってその時は思って。 だからただ気が済むまで泣いた。 今回出てきたのは丁度中学の時にいじめにあった時のが、特にクローズアップされた感じ。 あの時はクラス中から無視されるか、苛められるかしてたしね。 そんな中わざわざ親切ぶってくる人とかも結構いて、目的が裏切って泣かせるためっつーんだから、その人のがどれだけ性格が歪んでいるかと思うんだけど。 そんな中での自衛手段の一つとして、他人を信じないと言う選択をした。 でも今回出てきたのはもっとなんか自虐的だった。 誰かと関わらないためだったら、どんなに落ちて惨めでみっともなくても構わない。 自分を守るためなら、これ以上傷つかないためなら、どんなに堕ちても構わない。 と言う捨て鉢と言うか、自暴自棄というか、そんな想いだった。 傷の痛みが酷すぎて、それ以上の事など構ってられない。 これ以上私が誰にも必要とされないなんて事を、知りたくなんて無い。 そんな現実を何度も突きつけられるくらいなら、どんなみっともないことでもそっちの方が良い。 そこには必死の覚悟と、深い悲しみと、憎しみが混在して訳が分からなくなっていた。 私は。 とにかく泣いて泣いてその想いを外に出すのと、未だまだ私の中には昇華しきれてない思いが沢山あるんだなぁ。 と認めることが精いっぱいだった。 それ以上何をすればいいと? これをどうにかしようと思えるのか? その時は思えなかった。 何も出来ずただその私がなすがまま、とにかく泣くことを許容することしかできなかった。 こういう深い思いは良識とか、人としてとか、そんな上っ面な知識は何の役にも立たないのだ。 ただ単に静かにその気持ちを受け止めるしか、何もないのだ。 真っ直ぐに正面から受け止めようとすると、ただ聞く、と言うことしかできない。 でも、それでいいのかもしれない。 求めているのはまっすぐな正直なものでしかない。 ちゃんと向い合って、逃げずに受け止めることが、その時の私が求めていた事なのだし、それを自分でその時の自分に示して、大丈夫だと伝え続けるしかない、のだと思う。 未だこれが一つの人格として存在するのか、律かひなの中の一部なのかは判断がつかない。 つかないまましばらくこの子と付き合っていきたいと思う。 お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
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