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2011.06.27
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時々大変な状況でも、
「大丈夫です。問題ないもん」
って感じる時があります。

これが本当に問題ないのなら良いのですが、実際は違う事が多い。
完全にこの人格に持っていかれている時は、酷い時は何が大変で問題なのかさえも思い出せない事がある。

たくさんの問題や課題ややるべき事が分かっていて、確かに厄介だけど、でも問題なく出来るって言うのとは違う。

明らからにその問題を全て綺麗に頭の中から消し去って思い出すことさえできない状態になる。

この起源は何処かなって思った時に、一番最初に自分で「あれ?」って思った事を思い出した。

私は浪人をしていた事があり、しかもこれも親に言われて半分以上渋々って感じで、予備校に通っていたのだ。
大学受験が駄目だったため、出来ればさっさとデザイン関係の専門学校に行きたかったのだが、親が何故かそれを渋ったのだ。
理由はいまだによく分からない。

その時の予備校の面接相談会で、その直前までもう嫌で嫌でやめたくて仕方ないって気持ちだったのだが、何故かチューターの方と会った時に、その気持ちがいきなりなくなっていたのだ。

何故か本当にやる気満々の私になっており、そうして面談を終えたのだ。
もちろん翌日からまた嫌嫌通っていたのだけど。

確かにその時にもし本当にもうやる気が無くて、バイト生活なり、好きな事をしたいって言ったら、それはそれで色々と問題になり、バタバタしたと思うのだが。
それらの問題を逃避する為に、また良い子でありたいという気持ちがあったために、そうなったのだと思う。

実際にその当時は良い子でないと価値がない、って言う思考と、それらがバカみたいで軽蔑していた私と、完全に二つに分かれていた。

それを考えると多分この頃に夢見良い子は既にいたのだと分かる。
そこから前はとにかく夢見がちな感じで、何処か浮いていたのだけは何となく覚えている。
夢見て良いこと言う割には、実行力に乏しかった覚えがあるので、プライド人格も既にいたのだと感じる。

それより前、と探っていくと、何故か幼少期の事が思い出される。

私は何故か幼いころの記憶をすごい持っている。
それこそ自分がまだ歩けない頃の記憶がある。

もしかしたら、アルバムを見て、幼少期に想像したことかもしれないけど。

その中で思い出したのは、自分がすごい甘えっ子だった、という事だ。
母親からもそれはすごい言われていた。

幼稚園に入る前に、何かの時に抱っこをせがんで、それからずーっと私の気の済むまで抱っこしてもらっていた事がある。

それは覚えているし、実は写真も残っている(父親があまりの甘えっ子だったのを苦笑して、写真を撮ったのだ)。

幼い頃は当たり前のように、我儘が利いて貰えたし、何かと受け止めてくれて、肯定されていた覚えがあるのだ。

それから思い出したのは、幼稚園の頃まで、私にとって父親はヒーローだった事。
当時の人にしては、背が高くてそして運動神経も結構良かった。
カッコ良くて大好きだった事。

夢見良い子のリリ子を遡って行くと、そう言う幸せな記憶しか出てこない。
それがさみしんぼ人格のちぃや悲観人格のひなと違うところ。

ちぃもひなも、両親の非情なところをとにかく嫌っているし、怖がっているし、淋しくて泣いていた。
二人に焦点を合わせると、辛い事ばかりしか出てこない。

最初に勉強会で、親に受けた仕打ちを話した時に、
「それって虐待だよ」
と言われるまで、その自覚が無かったのは、多分同時に愛された記憶もあったからだと思う。

リリ子が虐待を認められなかったのだ。
全てを肯定された記憶があった分、全てを否定される事があまりにもショックで、受け止めきれなかったのだ。

だから無かったことにした、リリ子は。
それを受け止め続けて辛かったのは、ちぃとひなだ。

そして以前その辛い話をした時に、母親は全部私の妄想だと言いきった。
勝手に作って、人を悪者して、酷い娘だ。
そうやって自分一人、良い子になるなんて。
と言われた。

それはそれでまたショックで、更に親を恨むことになった。
同時に自分の都合のいい妄想を繰り返して主張する母親を、侮蔑した。
自分のやった事を認められず、被害者づらして、喚くその醜さを目の当たりにして、こんなふうにはなりたくないと思った。

そうはいってもDNAカルマとして引き継がれていて、それに気づいた時は本当に愕然としたし、親を呪ったし、本気で嫌悪した。

そうして私達は、綺麗な愛されてた記憶を持っているリリ子を嫌悪し、閉じ込めてしまった。

少し話がずれたな。

ともかく辛い事を受け止めきれなかったのと、でもやはり愛された記憶を持っていて、そこにしがみついた。
愛される事、愛されるために何でもやるし、だから何も問題がないという事。
そこに逃避してしまったのが、リリ子だ。

だから前向きでキラキラしてて、何の問題もないと思っているのだ。

リリ子が、何故ひなやちぃに近づかないのか分かった。
その辛いのを認めたくないのだ。
自分が捨てて楽になったものを、辛いものを感じたくないのだ。

でもさ、それじゃあ、駄目なんだよ。
少しづつで良いからさ、辛いの分かっているからさ、ひなとちぃとちゃんと認めあえるようにしていきたい。






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Last updated  2011.06.27 20:38:23
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