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カテゴリ:人格統合取り組みみたいなもの
セッションを受けて、つくづく感じた事がある。
私はもっともっといろいろな事を、思い知らなくちゃいけない。 この世界がどんなに広いかとか、どんなに色々な見方があるのかとか、どんなとんでもない挑戦をしているのかとか、そう言う事を実感として知っていかなくちゃいけない。 私の見ている世界は、まだまだちっさくて、まだまだ狭い範囲しか見えて無い。 そして何もわかっちゃいやしない。 それをもっともっと実感として知らなくちゃいけない。 そうやっていろいろ知ることによって、謙虚さは育まれるんだよ、と教えて戴いた。 ならば、自然の猛威を目の当たりにして、人がどんなにちっぽけな存在かを知ることも、謙虚さを育むためモノなのかもしれないな。 人知を超えたものを目の当たりにすることも、そうかもしれない。 でも人は簡単に、その事を忘れてしまう。 それでもまた何かあると、改めてそれを思い知ることとなる。 そうして傲慢と謙虚さを行き来しているのが、人というモノなのかもしれない。 人格統合も同じで、あっちこっち飲みこまれて、色々な事を起こしても、それでもここの謙虚の着地点に戻ってくればいいのだと。 謙虚さとは、ただ単にお行儀よくして居たり、いい子にしている事じゃない。 そんなのはただの「ごっこ」遊びに過ぎない。 ただ己の分を知ることが、それを受け入れる事が、そして色々な事をとにかく知ることが、謙虚になるただ一つのコツなのだと思う。 そうするとやっぱり、自分を知らぬ事、あるがままの自分を受け入れないことは、傲慢さなのだと思う。 それでも日々人は流されて、謙虚から離れてしまう。 離れてもまたここに戻ってくれば、良いだけなのだと。 でもそれが難しかったりするんだけど。 取りあえず謙虚になった自分の感覚を、しっかり刻みこみ。 そしてまたここに戻ってくる道しるべにしたいと思った。 お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
Last updated
2011.08.06 20:52:17
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