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カテゴリ:人格統合取り組みみたいなもの
人格統合をすることを、一つ一つの行動を鑑みる事を、何処かで抵抗している感じがする。
薄々そんな感じはあったが、それを無視していた。 気のせいだと思いたがっていた。 やりたい事をやっているのに、これをやらなきゃどうしようもない所に来ていると感じているのに、そう言う抵抗が出てくるのはおかしいと思っていた。 だからかすかなそれを無視して無かったことにした。 うん、これって夢見良い子のパターンが出てる。 その根底にあるのは駄目出しによる、人格否定に対する恐怖。 自分という人間の醜さやみっともなさ、人間としての未熟さなどを見たがって無い。 だからこそそう言う事を無かった事にする。 今まで十分に醜さ愚かさ未熟さは曝してきたのに、何故ここで更に抵抗が来るのかが分からない私も居る。 これはヤサグレのパターン。 理解を示さず、ただ単にバカにする。 プライドのカルマも持ち合わせている。 夢見良い子のカルマパターンにある恐怖は。 自分の負の部分を観るだけでなく、更に母親によって根底まで否定されて立ち上がれなくなるほどの絶望を感じさせられた事による。 お前はここまで悪いのだから、これから一切なにも良い事など無い。 成長など出来やしない。 ただ地べたに這いつくばって生きるしかない。 その様な事を植え付けられた。 もちろんそんなことは無い、絶対によくなるし浮上も出来る。 そう思って抵抗をした。 だが、子供の時の幼い理論や拙い語彙など、大人が論破するのは簡単で。 更に上から押さえつけられて、やっても無駄だという気持ちが芽生えて、動けなくなるまで罵られた。 そして絶望にハマって動けなくなった子供を観て、ざま見ろとばかりに留飲を下して憂さ晴らしに笑っていた。 その癖そこに何時までもとどまっていると、鬱陶しいとか馬鹿だとか、そう言う罵りを更に投げかけ、今度は強引に良い子の行動パターンを強いた。 何か掘り下げていて、これで精神分裂しない方が不思議だと思う。 自分の気分(その時の分裂人格)によって、両極端を強いられて、未だ自我が確立できてない子供が、軸を持っていられるわけがない。 良くまあ「解離性同一障害」にならずに済んだものだ。 結果内部の人格分裂はすごいけど。 取りあえず置いておいて。 夢見良い子が怖がっているのは、その時の二度と立ち上がれなくなるほどの絶望を感じることだ。 生きていても仕方がない、何をやっても無駄というそう言うモノを改めて見せつけられて、その闇の穴に落ちるのではないかという恐怖だ。 だから逃げた。 夢を観た。 違うのだと、そうじゃないのだと。 もっともっと自分は違うものなのだと。 そしてその絶望や二度と立ち上がれない恐怖を無かった事にしないと、生きる事が辛くて仕方がなかった。 結果何処か現実や足元を見ずに乖離してしまった。 現実を見つめたり、足元をみて踏ん張る力が無い。 うん、こっちが夢見良い子の本当の根っこにあるものだと思う。 見たくないのは、思い出したくないのは、もう一歩も動けなくなる絶望だ。 人格や生き様を全否定される事だ。 そしてそれで終りだと言われる事だ。 何も変える事が出来ず、何も進歩も出来ず、どうしようもない意味のない生き方をしてきたのだと、そう言われる事が怖いのだ。 ちがう、そうじゃない。 人格統合は絶望に引き落として、動けなくなって半死人になるのを嗤って見ている場所じゃない。 そこから出るために、動き出すために、どうすればいいのか一緒に考えてくれる場所だ。 だから大丈夫なのだと。 そう伝えても信じきれない。 それがどんなにみっともなく愛に離れた生き方でも、人として悲しい状態でも、でも信じることができないという。 だから言う。 そこまで言うなら信じないままで良い。 でも動きだしてみよう、違う風景が見れるかもしれない。 そうしたら、信じられるようになるから。 だけど更に言う。 信じた途端に絶望に落した人もいた。 そうの方がより深くて悲しみが深いから、それを観るのを楽しいという人がいた。 でもそれは、貴方をいじめた人達でしょ。 そんな暗い愉しみしか知らない人と、他の人を同じにしたら失礼でしょ? 貴方がそう思われたどう?嫌じゃない? だから、そう言う例えは無理やり出さない方がいいと思う。 もし相手がそう言う人ならば、さっさと切ればいい。 貴方がやりたいように。 だからまずは、一緒に考えて動いていこう。 まだ、ちょっと不承不承だけど、それならば、という感じで。 少しづつこれもやっていく。 お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
Last updated
2011.08.31 21:33:57
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