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カテゴリ:人格統合取り組みみたいなもの
辛かったり嫌だったことを思いだすこと、再度感じること。
それが嫌で嫌で仕方がない。 そこを思い出さないと先に進めない、それは避けて通れない、そう言われても嫌なものは嫌だ。 二度とあんな思いをしたくない、二度と戻りたくない。 そう思って振りきるようにしていたことを、何故再度味わわねばならないのだ。 そう思うと怒りがこみ上げてくる。 私にとってどんなにつらくて嫌で死にたいと思っていたのか、知ってるのか、それを分かっての言葉なのか、と問い詰めたくなる。 じゃあ、お前はどうなのか。 お前はちゃんとそれを表現して味わいつくしたのか。 そこを通っての言葉なのか。 八つ当たりだろうと何だろうとそう問い詰めたくなる。 とにかく嫌だ。 あの状況に戻るのは再度を味わうのは、あの絶望を感じるのは。 死にそうになる。 気が狂いそうになる。 自分が壊れそうになる。 だから嫌だ。 『たかがそれくらいで』 時々聞くその言葉の残酷さを、言った人は分かっているのだろうか。 人の気持ちや感性を軽んじて、自分の気持ちだけが最上だと言わんばかりの傲慢さも分かってるのだろうか。 同時にそれを受け入れることが、どれだけ自分で自分を軽んじて、自分を受け入れずに認めない事なのか、今まで分かっていなかった。 人の言う強さを表現することが、自分を蔑ろにすることだと分かっていなかった。 人に認められるために頑張っていることは、全部自分にとっては辛くて嫌で死にたいようなことだった。 でもそう言うとさらに怒られたから、それさえも封じ込めたのに。 ようやく封じ込めて、「普通」にちかくなってきたのに、何でそれを再度壊さなくてはいけないのだろうか。 ともかく嫌だ。 再び死にたくなるような思いを、再度味わわなくてはいけないのは嫌だ。 ま、いじめとか、虐待とか、色々な辛い事とか。 思い出すにはやっぱり抵抗が出てくる。 だってその時辛いってのを許されてないし、怒られたし、受け止めてくれる人など何処にも居なかったし。 独りでこらえて耐えるしかなかったことを、再び味わいたくない。 そう言う思いが出てくる。 なので、当分これを垂れ流してみようと思う。 お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
Last updated
2012.03.20 20:40:23
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