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テーマ:たわごと(26837)
カテゴリ:人格統合取り組みみたいなもの
普段思っている事、感じていることはほかにもたくさんある。
でもここに書けずに終わることが多い。 書く前に捕まえ切れずに、書けない事もあるが、あえて書いてない事もあるし、書いてもどうせ分かってくれないよな、と言う諦めもある。 表向きのキレイゴトを書いてる事もあれば、そうじゃない事もある。 取りあえず取り繕っている事もあれば、怖くて書けない事もある。 簡単なはずの感じた事を、書けずに立ちつくすこともある。 何でこんな風なんだろうな。 自分の顕在意識と実際の行動も結構違う。 そもそもその差異に気づいても居なかった。 全部切り離して、都合のいいことばかりを継ぎ接ぎしてた。 しかも無意識のうちに。 たくさんのブロックや沢山のトリックがあって、自分が何なのかさえ分かっていなかった。 人格統合関連の本を読み返している。 そこには実際の実態が書かれている。 でも、改めて読んでみると、確かにその通りだけど、でもその前にそれらさえもやっていることも受け入れられずに、その知識だけで動くと、またドツボの落とし穴にハマるな、と言うのが分かってきた。 騙し絵の様なパラドックス。 良し悪しの二元判断の放棄。 例えば被害者意識。 これは確かに克服する必要があるし、気付かずどっぷり漬かっている人には、その悪どい実態は知って醜さを知る必要がある。 でもそれらを知った後で、どっぷりと飽きるまで浸かる必要がある。 正確にはその根っこにある思いにだ。 そうしないと先に進めない事もある。 そこに来てもやっぱり気になる。 本当にどっぷりつかってて大丈夫なのか? 本当に抜け出せるのか? だからと言ってそこの思いを無視して進めると、結局足が引っ掛かり転倒する羽目になる。 でもその疑問さえも実は分裂人格だったり。 なかなか次から次へと訳が分からなくなる。 さらに疑問。 自分に主人格なんて居るのか? 分からない。 それぞれの中に主人格に近い思いはある。 そこの強化を努めるしかないな。 でも投げ出したくなる。 面倒で全部やめて放り投げたくなる。 やってどうなるの? 本当に何とか進むの、やっても無駄なんじゃない? 今まで通り適当に取りつくろって、心にもないけど、でも取りあえず受け入れられる事を、もっともらしく言って、感覚なんて麻痺させていればいいんじゃない? 時々のまれて放置する。 でも気になる。 わずかづつだけど、交流する。 それがやっぱり放置できない。 だから無理やり引きずりながら戻ってくる。 その繰り返し。 どれだけ逃避しながら生きてたんだろうな。 それがデフォルトになっていて、逃避も陶酔もしない生き方が良く分からない。 全てが手探り状態。 そんな事をひしひし思う。 お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
Last updated
2012.04.13 22:22:51
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