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カテゴリ:人格統合取り組みみたいなもの
あ、昨日の記事に、指摘が入ったので、修正が入ってます。
メールで色々説明してもらったけど、私の理解力は、あそこが限度。 その件ははまた後日、消化しきってから書きたいと思います。 で。 何が停止中かと言うと、人格とのコミュニケーションが。 昨日人格化できた、りえとの会話が成り立たない。 アダルト人格だからと言って、コミュニケーションが出来る訳じゃないのを、初めて知った。 彼女は。 私の部屋の真ん中で、壁(と言うかたんす)に持たれて、文字通りボーっとしている。 話しかけても上の空の返事くらいは来るけど、認識されてないってのが現状。 実際あの頃、必要最低限の今までの自分を維持というか、演じながらも、殆どボーっとして半分壊れた状態で居た。 部屋に戻ると何もせず、本当にボーっとしてた。 その頃の状況が浮かぶ。 辛い、と言う状態を通り越して、本当に少し麻痺していたし、何かどうでもよくなっていて、出来たら死にたい状態だった。 かろうじて友達が居て、死んだら泣くだろうな、それは嫌だな、って辺りに縋ってなんとか生きていた感覚がある。 たかがあれくらいで、と思う人もいるだろうけど、理解して受け止めてくれるかもしれない人に、手のひらを返されたのは相当ショックだった。 さらに、そう言うふりしているだけで、裏で何を言っているか分からないというのも垣間見て、さらに不信感が募った。 確かに20代で既に話をしても分かる人にしか分からない、というのは確立していた。 けど今回のことで、人はみんな分かるふり、理解があるふりをしているだけだ、と言うことで人を信じようとして居た事が、木っ端微塵に粉砕された、と言うことが、今振り返るとよく分かる。 人間不信になりながらも、何処かで人を信じていたモノが全て無くなった感覚に近い。 表と裏で平気で使い分ける人がいたのは、経験上知っていたが、その薄っぺらい感覚は直ぐにわかるので、そう言う人とは距離をとっていた。 人は平然と理解ある人間を演じて、不都合があると丸っきり豹変したり手のひらを返す人がいるのが、分かって無かった。 自分のその人を見分ける感覚にも自信がなくなったし、人を信じることにもかなり慎重になったのがここだろうな、と感じる。 今の他人への不信感を強固にしたのも、コレだろう。 と、言うのが分かってきたのは良いけど、でも、どうやってコミュニケーションとればいいんだろうね? 中山さんに主人格役をやってもらった時はある程度コミュニケーションが出来たと思ったんなが、一人だと全然だ~~~~っっ!! できね~~~~っ! 仕方ないので、今はじーっと側にいる、ってのをやっている。 認識してもらうまでは、また、根競べかも。 仕方ないので、自分のペースで、本当に地道にいくしかないな。 お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
Last updated
2012.07.23 22:55:28
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