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カテゴリ:人格統合取り組みみたいなもの
んでもって、一番旬な人間不信の話を聞いてもらった。
特にかれこれ10年くらい前の、完全に人間不信になるきっかけの事件とかかな。 なんか、なんか、フツーに「人間不信で人を拒否する」って話を聞いてくれるんだ、ってどころで結構びっくりというか、「あ、良いんだ」ってところが意外な感じがした。 一方的に頭ごなしで、拒否られるかもと言うのが実はどっかにあって、ちょっと怖かった所もある。 でも優実ちゃんに、「私もあるよ」って言ってもらって、何か普通にやっぱりあっていいんだ、と言う所に落ち着いた。 話し始めはやっぱり、抑圧しようとして、胸が押されるような感覚はあったけど、でも話始めて、そう言うのがあってもそれが異常な訳じゃない、ってことが分かると話しやすかった。 対人トラブルの話を聞いてもらって、その当時自分なりに、どれだけ言葉を尽くしたり誠意を持って対応しようとしてたか、どれだけ分かって欲しくて、相手を知りたかったか、を話すことが出来た。 ただ相手が今思うと私の意図や気持よりも自分の価値観やプライドなどを押し付けて、私が思い通りにならない事を怒ってきたり、批判してきたり、自分の意見は言わずに他人の意見を引用して説き伏せようとしたりして、とんでもない奴だったのだ。 挙句の果て時間を置こうといって、切り捨てられた(感じがした)。 優実ちゃんが、 「なんで、そこでそんなふざけた奴に対して、怒らなかったのか」 と言うあたりを指摘して来て、初めて当時の自分の中に、相手に対して怒るという意識が無かったのに気がついた。 全然こっちの事を聞こうとしない相手に、怒ってはいたけど、相手にそれをぶつけることは思いもしなかった。 今思うと、「ざけんなっ!」って感じだけど、そうやって怒る事が悪いことだと思っていた。 そこんところをちゃんと掘り下げていく必要を、教えてもらった。 怒る=人間関係が壊れる、と言う図式が成り立っていたのもあるし、怒る事は馬鹿な下等な卑しいことだという、思い込みもあった。 怒れば怒るほど他人は話を聞かない、だから怒っちゃだめだとか、色々怒りに対して、抑圧があるのにも気が付いた。 怒ること自体は出来るから、その怒りサイクルのシステム正常化が大事なのも教えてもらった。 怒るべきところで怒らないと、結局自分の尊厳を無視していることにもなるし、自己否定だし、どんどん苦しくなってそれが歪みを生じる事も教えてもらった。 それと過去の書き換え、と言うのも教えてもらった。 本来怒るべきところで怒らなかったため、今人間不信で引っ込む方に行って歪むが生じているので、そこで今ならどうやって怒って伝えてやりたいかを、その時に立ち戻って、何度でもイマジネーションすると、内に籠る方では無くて、今度はそちらの本来の方へ、修正が出来、人格たちも動いていく、らしい。 説明ちゃんとできてるかな。 やれる時にやれるだけやりたいと思う。 それと、中山さんに何か提案すると直ぐに「やってみる」と言うのがすごいね、と言われた。 でもそれはやらなきゃ先に進まないじゃん、と言う事を言ったけど、でも以前はそうじゃなかった。 今気付いた。 一つ一つ出来ないからやりたくない、出来なかったらどうしようと、すごく二の足を踏んでいた。 それをそうじゃないんだよ、って何度も何度も谷田さんに教えてもらって、失敗しても何か掴んだら、出来ない事を責めるんじゃなくて、何か掴んだことを受け止めてくれる、何で出来ないかを掘り下げてもらう、というのを繰り返して、ようやくそこに至ったんだった。 谷田さんのおかげなんだよ。 そこん所の感謝忘れてるぞ、自分、それねーだろ。 色々全然足りてないな。 でもやることを出来ることからやるしかない。 人間不信を抱えてる、りえだけど、今回のことで、リラはいーんだ、って思えるようになった。 拒否しないんだ、理由が何であれ別に構わないんだ、受け入れてもらえるんだ、と言うところでリラに興味を持ち始めてる。 そうそう、後、怒りの瞬間抹殺を行っているかも、とも言われた。 何かを瞬間抹殺をしてるのは、時々気づいているか、それが何かまでは覚えてない事がある。 怒り、かもしれん。 お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
Last updated
2012.08.19 21:43:09
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