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カテゴリ:人格統合取り組みみたいなもの
昨日書き忘れたことがあったな~、と思って書こうと思ったら、それが何か出てこない。
何だっけ。 また思い出したら、書く予定。 また何か切り離しが起きてる感覚がある。 チューニングが合いにくい。 不信抑圧人格のりえは、未だ呆然としている感覚が強い。 何かする、と言うよりは昨日の思考カルマ解除的な色々なことに、ついて行けない感覚。 怒りに関しては、怒って言ってもどうせ聞いてくれない、余計に相手が見下しをするだけだ、と言う思考が、ひょっこり出てきた。 怒って何を言っても理解されない、こっちの事など伝わらない、と言うのがあるな。 人が怒るのを見て笑っている奴がいたのも思い出した。 それで怒ると野蛮だとか、頭が悪いとか、薄笑い浮かべる異様な見下した顔で、人を批判してきたな。 今思うとふざけてやがる。 人として最低だな、しね、と思う。 頭に血が上ると、ロクに喋れなくなることも多かった。 怒りに支配されて何が何だか、わからなくて、何を言っても伝わらないってのもあった。 怒ることが感情的になることとイコールだったから、コントロールできなくて、色々と大変だった事もある。 母親は私が感情的に怒ると、さらにそれを上回る感情的な怒りに支配されて、人を罵ったりバカにしたり、時には暴力をふるった。 挙句の果てに人としておかしいとか、感情的なるお前が悪いとか言ってきた。 今思うと、それがおかしいだろ、子供が感情もてあますことを一々ヒス起こす、おめーが変だ、ばか、って思う。 だから余計に怒りの感情を抑えることが出来ずに、何時も殺意に変わった。 何時も相手が死ね、と思った。 怒ること=悪いこと、相手の死を望むこと、許されないこと、自分が変なこと、気が狂ってること、切り捨てること。 あ、そうか。 昨日書いたあの当時、怒れなかったのは、相手の手を自ら手放すことや見捨てる事だけはしたくなかったのもある。 見捨てることや切り捨てられることの辛さを知っていたから、それだけは自らしたらダメだと思ってた。 怒ることはそれをすることと同義だった。 ギリギリまで、信じたくて、伝えたくて、でも駄目で。 しばらくグルグルしてて、切られてもでもどこかいつかは、ってのがあって、けどあるきっかけで電話で話して、こいつはもう本当に変わらないんだ、駄目なんだって分かって、糸が切れるように手を離した。 相手は私が自分の思い通りになることしか望んで無くて、その型にハマる人だけを周りに集めて、城を築いてて、人の事などは本当はどうでも良い奴なんだ、と感覚的に理解して、どうでもよくなった。 何をしても無駄なんだ、って言う無力感の方が強かった。 人の話を聞くようなふりして、相手をコントロールしたかっただけなんだ。 不信抑圧のりえはその辺りの無力感からは抜け出せないし、怒れない。 変わりに怒ることが出来る人格が起こればいいと言われてるが、そこから切り替わらない。 無理やり切り替える。 ざけんな。 テメーは結局、理解あるいい人の振りをしたいだけだろ、 自分の思い通りになる、思い通りに思ってくれる人たちだけが欲しいだけだろ。 誰かが気に入らない、あの人と同じようにしてくれない、なんてバカな愚痴を言ってんじゃねぇ。 人はみな誰もが違うし、同じじゃない。 みんな一つの型にはめて、同じようにしようとすんじゃねぇ。 馬鹿じゃないか。 人はあんたのためだけに存在する道具じゃない。 いい人の振りして、影でその人の事をグチグチ、自分の思うどおりにならないって愚痴るくらいなら、自ら関係性を直そうと、変えていこうとしないで、何がいい人だ。 ばかじゃねぇの。 あんたは結局自分の都合の良い世界で、自分の都合のいい人間関係だけを求めているだけだろ。 自分の弱さをタテにして、人をコントロールしようとしやがって。 立派な大人の皮を被って、年下の子を思い通りに操って、相手の事など本当は思わず、自分の被害者意識だけ浸りやがって、死ねばいい。 死んだ親友の影を他人に求めて、違うことに泣いて怒るなんてバカをするな。 テメーがやっているのは、口先で何を言おうと、それだけだ。 くだらねぇ。 馬鹿じゃねぇの。 自分の意思も持たず、誰かの価値観で人をコントロール出来ると思っている、その馬鹿さ加減がきらいだ。 本当にテメーは、人として最低なのを自覚しろ。 って、今なら言うな。 言っても良いけどな、今更で、下手したら覚えてないかもしれないが、勝手に過去を作りかえられてるかもしれないが。 お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
Last updated
2012.08.20 21:16:13
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