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カテゴリ:より高みを目指して
例えば「積み木」が目の前に30個あったとします。 その積み木は色々な色が塗られており、形も大小様々で三角形の物があったり、四角形のものであったり、長方形のものであったり。その30個の色も形も不ぞろいな積み木を30人の人に自分が出来るだけ綺麗に見えるように並べてもらいます。 その様がイメージ出来るかと思いますが、その30人の人が並べた積み木には間違いなく同じものが無い。 これが個性による美観の違いです。 下に暗い色を持ってくる人も居れば、明るい色から並べる人、大きな積み木を下に並べる人、ビルのように高さを出す人、動物や家をイメージする人・・・30個の色も大きさも形も違うものがあれば、完成するものは無限と言えるでしょう。 そしてそのどれも、並べた本人に綺麗に見えるならば間違っている並べ方ではない。 例えに「積み木」を出しましたが、これが「料理」と非常に良く似ている。 レシピ、同意語でルセット。 料理には30種類の食材、40種類の食材、はたまたそれ以上で構成されているものも少なくありません。また積み木を例に言いますが、30個の不ぞろいの積み木のうち、1段目もしくは一番最初に置く積み木の色や大きさを順序だてて"正しく"構成するものを料理のルセットの「基本」とするならば、2段目や2番目に置く積み木はそのほとんどが「応用」となります。 だから当方は、簡単にルセットを人に教える。 だって、出来るものは絶対に同じじゃないからね。相手がプロであっても、素人さんであってもそれは同じ事で、もしかしたら当方が独自に考え出したルセット以上のものが完成するかもしれない。 それでも教える。 当方の手から離れた積み木が別の顔をして、その人独自の「並べ方」を見てみたいといつも思う。 自分で試行錯誤したルセットは、その料理人にとったら「我が子」に近い。 込められた愛情は人には触らせたくないほどだけど、それをあえて人に託す。 未だ、その殆どが当方の眼に適うものはないけど、可愛がってくれているのを見るとやはり嬉しい。そんな気持ちだから、言われて一番凹むのは「面倒」という言葉。「作って失敗しても構わない、だから面倒なんて言うなよ・・・」と心が泣く。今までの血と汗の経験が泣く。 教える側は勿論、教えた後は最後まで面倒を見るのが義務。そして忘れてはならないのが、教えられる側にも勿論リスクがあるってこと。面倒でも良いから、積み上げた積み木が綺麗に見えなくても良いから、最後までちゃんと積み上げてほしい。 そして完成したもの、それはきっと自分個人だけで見たときに、その並べ方を教えてくれた人の「積み木」以上に綺麗に見えることは間違いない。 人間にとって「料理を作ること・食べること」とは生命維持という重要性を省けば、後に残るものは「美食」のみ。 食事は単純でいて、美食は奥が深い。 お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
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