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語りと筆しごと~書家香玉のうずまき帖

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2011年05月06日
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カテゴリ:父を想う
連休で子どもを連れて実家に。ひとり暮らしの母のことがいつも気にかかるが、車で一時間半くらいかかるから休みでないとなかなか帰れない。
父の入院中は、ふたりの顔見るためだけに、長男の学校の間に行って帰ってのトンボ帰りもよくしたものだが、今となってはなかなかそんなパワーも出ない。

母がぽつんと暮らす家。

去年の連休はまだなんの心配もなく、その悪魔の襲来に気づきもせず、ふたりして笑顔で出迎えてくれた。
今年9歳になった長男はその日、父と初めて近くの空き地でキャッチボールをした。その夜、じっくりと将棋を習った。よく晴れた翌日、母が弁当を詰め、近くの花公園にみんなでピクニックに行った。
夢のような時間。
みんな笑顔だったのに、翌月に病がわかり、翌月に入院して、夏がすぎ秋になり冬を待たずにお別れ。
本当に何度考えてもいまだに信じがたい。

ああ、何度同じことを想い涙すれば気が済むのだろうと母とため息をつく。

しかし、震災で愛する人を一瞬で失った人たちの悲しみを思うと…
それこそ前日までなんの不安もなく、笑顔ですごしていたはず。なんとむごいことか。その心中を思うとき涙は一気に乾く。

呑気な顔をして眠る我が息子たちの顔を見ながら、それでも明日に希望を持って生きていかねばならない意味を自問する。

生きる希望を持ち続けること。

なにより父が身をもって教えてくれた。

この世に生まれる1ヶ月前、私は母の胎内で母の慟哭を聴いている。来月の孫の誕生を待たず母の父は病を苦にして自らの命をたったという。
それから五年して、今度は父の母も。

高校生のとき、そのことを知ってしまった私は、それはもう怖くて怖くて、仕方なかった。

自ら生きる道を絶つとはどういうことか、いつも心のどこかに闇があった。

だけど、それは決して口に出してはいけないことのような気がして、口に出すことさえ恐ろしくて、父母とはほとんどそのことについて話したことはない。

二人だって、それはもう、さぞかし、思い出したくもないくらい、辛かっただろうから。

それでも、二人だから乗り越えてこれたんだろうと思う。
日にち薬といって、人はどんなに辛いことでも、時間とともに忘れる力が備わってるから、だから生きていけるんよ。と母はよく言っていた。

けれども、ひとりぼっちに耐えかねた母が父のところへ行きたいと言い出さないだろうかと私は実は気が気でない。
ともすればこの私だって、ちらりとかすめることがある。父を探しにいきたいと。
だけど二度と戻ってこれないことはわかっているのだから、だめだ。
なんてバカなことをと慌てて打ち消す。
子供らの呑気な寝顔に詫びる。

病床の父に勇気を出してただの一度だけ訊ねてみた。
『ばぁちゃんはなんで自分で死ねたんやか』

変なことを突然訊ねたから父は動揺するかと思いきや、まったく自然に即答した。
『生きる希望を持てなかったからやろうね』

かすれた声で絞り出すように、だけど力強くこう続けた。

『おとうさんはちがう。まだ生きる希望がいっぱいあるきね』

私は父のこの言葉とあのときの声をずっとずっと忘れない。

初盆だからと、仏間にエアコンを新設し、畳や障子も新しく替えた母。
実家は清々しいイ草の香りに満ちていて、遺影の父はあいも変わらず笑顔のままだ。
たまには違う顔してよ。いつも笑ってばかりでイライラする。笑いごとじゃないんよと母。

同感だ。





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最終更新日  2013年05月05日 00時40分55秒
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