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語りと筆しごと~書家香玉のうずまき帖

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2011年11月16日
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カテゴリ:父を想う
すみません。これでもう最後。去年のきょうの話をさせてください。
去年のきょうはまだ生きていたのにと言える時間、ついにきょうでおしまい。
明日からは、去年も今年もどこにもいなくなってしまった日々を新たな気持ちで
生きていくしかありません。

15日、そろそろ夕飯の準備をしようかというとき、お父さんの容体が急変したと母から
電話を受け、こどもたち二人と大慌てで家を飛び出した。

まだ一歳前の乳飲み子である次男を震える手でベビーシートにくくりつけ
小3の長男はさすがにすばやく助手席にすべりこみ、約1時間必死に車を走らせて、病院に到着。

容体急変とはいえ、まだお父さんと話くらいできると思っていた私。次男を抱いて、通い慣れた父の病室までとりあえず走る。
力強くドアを開けたその瞬間、すでに母や妹や伯父や叔母やいろんな人に囲まれて横たわっている父の姿を目の当たりにして愕然とする。頭が真っ白になって思わず、自分でもびっくりするような大声で「おとーさんおとーさんなんでなんで!おとーさん、なんで~!!」と絶叫していた。おとなしく抱かれていた次男が驚いてわぁっと泣き出した。

父は必死に呼吸を続けていたが、もう意識がなかった。
目はあけていたけれど、私の方を向いてくれることもなく、その長い睫毛をゆらして力なく天井を見つめていた。
その手はあたたかかったけれど、いくら握っても返してはくれなかった。

呼吸困難に陥ったとき、延命措置をするかどうかの選択を問われて、看護士だった叔母が人工呼吸器などをつければ後々また辛いからと母をなだめ、酸素マスクによる自発呼吸を選んだそうだ。

だから父はもう、こうなってしまった以上、できるところギリギリまで自分で呼吸しその時を待つということ以外に道はないのだった。

なんとかしてくれと医師に迫ったところでもうどうにもならないようだということだけが不思議とすんなり理解できた。

臓器を切り刻まれ、腹に穴を開けられ管につながれる日々。食事も水も喉を通らず、胸に針をさされて24時間栄養注射。
それでも父は会うたび笑って、必ず治るからと皆の目をまっすぐに見つめけっして失望しなかった。どこまでも生きる気まんまんだった。

けれど私はそんな父の姿が痛々しくて、悲しくてたまらなかった。
諦めたらだめだと、必ずや治してみせると強い気持ちでいつも見舞いに行ったが。帰るときにはあんな状態の父をどうやって治してあげればいいのだろうと途方に暮れた。

夜な夜な何かいい方法がないかとネットや本を読みあさり、末期がんからの生還とうたわれているもの、なんでも調べ取り寄せて母に試してみようと持ちかけたり、いろいろもがいてはいたのだが、どれもこれもまったく効果がみられなかった。

父が死ぬなんて絶対に考えたくなかったし、どんなことをしてでも失いたくないと思っていたにもかかわらず、父がその死を迎えようというとき、どこかほっとする自分もいた。もうこれ以上、父に苦しんで欲しくないと心から思った。

いったいこの命はいつ果てるのだろう。優しかった、いつも一番の味方で一番の話し相手になってくれていた父の愛しい魂は、いったいいつ神々しく私たちの頭上を浮遊するのだろうか。

病室の扉を開けた瞬間、絶叫してしまった以後の私は、横たわる父の体に寄り添ったままどんどん冷静になっていき、母と妹が「死ぬなー置いていくなー」と泣き叫ぶ姿をだまって眺めた。
お父さんは私たちの気持ち、痛いほどわかっているはずなのだ。

血圧と心拍数の数値が映し出されるモニターを皆で見つめる長い長い冷たい夜。
酸素マスクをつけても数時間が山でしょうと言われていたらしい父は私の到着もしっかり待って、12時間も頑張った。

医師はもう意識はないと言うが、呼吸の間隔がしばらくあいているとき「おとうさん!忘れよーよ」と声をかけると、みるみるうちに眉間にしわが寄り、思い出したかのようにすうーっと息を大きく吸い込み、はーっと吐き出すことが何度かあった。

そうやって何度も何度も死んでたまるかとばかりに父は必死で呼吸を繰り返した。

暗い夜を乗り越えて、白々と朝を迎えた11月16日午前6時すぎ、とうとう父は旅立った。最後の最後、開いていた目がぱたりと閉じ、一筋の涙がこぼれた。

傷ついてしまった体を捨てて、苦しみから解放され自由気ままな魂となった父に、いつでもまた会えるような気がしていた私。だから、見送りのときも意外と落ち着いていられ、その瞬間、天井をくまなく見た。

けれど、その瞬間はおろか、あれから1年がすぎ、いつもいつもその存在を気にしてあちこち探しているけれどどこにも見当たらない。全然、会えない。父からの合図もなし。

おかしいな。どこにいってしまったのだろう。

とりあえず1年、頑張った。こんなはずじゃなかったのにと思いながら
それでも生きた。

明日から新しい1年が始まる。
それでもなんとか笑って生きていくしかない。





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最終更新日  2013年05月05日 01時22分40秒
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