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語りと筆しごと~書家香玉のうずまき帖

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2011年06月30日
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カテゴリ:父を想う
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父が母の運転する車に乗って、家に来た。

普段から、車で一時間半の私の自宅へちょくちょく遊びに来ては、孫とたわむれたり、婿と釣りに出かけたり、娘の手料理で酒を飲んだり、元気な姿を見せてくれていたが、去年のきょうだけは違っていた。

病気がわかって、二週間後に手術すると決まって、本人としては、心配ない大丈夫だからというつもりで顔を見せにくれたのだろうが、精をつけてほしいと昼食に頼んだ鰻の出前にもほとんど手をつけず、念のためと布団をしいておいた奥の部屋にずっと閉じこもってしまい、終始寝たままだった。

長時間のドライブがよっぽど体にこたえたのだろうか。その姿は本当に辛いものだった。
それでも、学校に行っていた孫が帰ってきたときだけは、起き上がって、いつもの冗談を飛ばしたり、孫が喜びそうな作り話を聞かせたりして、いつもの笑顔を見せてくれた。

別れ際は、振り絞って元気な姿を作り、また来るね~と、車の窓から大きく右手を出して振り、私の顔をしっかりと見つめ、ありがとうと言い、微笑んだ。

それはいつもと同じような見送りの風景。まさしくいつもどおりだと自分に言い聞かせようとしたけど、心のどこかで、これが最後になりませんようにと必死で祈る自分もいた。

まさかと思いながら打ち消し…きっとまた遊びにきてくれるに決まっていると思い直し。

けれども、去年のきょう、父が帰っていく姿ははっきりと目に焼きついている。あのとき、やはり、覚えておこうと私は意識したのだった。

大好きな父が死んでしまうかもしれない、もう会えなくなってしまうかもしれない、そんなおそろしいこと一瞬でも考えたくはないのに、そう認めてしまったのはなぜだろうかと最近よく考える。

つきっきりで献身看護を続けた母は、一度たりとも、お父さんが死ぬかもしれないなんて考えなかったという。
必ず治ってまた一緒に暮らす日々だけをひたすら信じていたという。あたしはなんてお気楽人間だったんだろうと母もまたいつも自分を悔いてばかり。

病に苦しむ父の姿がかわいそうでならなかった私は、なんとかして快復の方法をと必死で探す一方で、早く楽にさせてやったほうがよいのではないかと思ったりもした。
いよいよ天に召されようという父をこれだけ頑張ったのだからと引き留めることもなく思いつく限りの感謝の言葉をかけるだけかけて、送ってしまった。

私もまた後悔している。
やっぱり意地でもすがり、逝かせるべきではなかった。

また会える気がしていたけれど、こんなにも会えないとは。二度と会えないことがこんなにも辛いとは。

去年の今頃より地獄の日々が始まった。雨は降るし、気持ちはどんどん沈むばかり。

いやしかし、東北の方々の無念と苦悶を思えば、自分が恥ずかしくなる。

腐らずがんばらなければ。





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最終更新日  2013年06月30日 17時56分58秒
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