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カテゴリ:ふるさと筑豊、原風景と人
愛らしい夫婦セキレイをかたどった土鈴を呆然と見つめる日々。
ちょうど去年の10月15日のこと。 このセキレイを御神紋とする直方市の多賀神社で、30年ぶりに開催されるというご神幸祭の記録映像の制作に関わることになった。 名誉ある仕事を授けてくれたのは、直方市に生まれ育ちこの地で40年以上北九州・筑豊エリアのニュースを担当する駐在の報道カメラマンをされていた保坂淳さん。 私がテレビ報道の世界に飛び込んだ20代の頃に出会って以来、故郷筑豊を同じくする独特の親しみやすさも手伝って、大変可愛がっていただいた方だった。 まさしくいつも、このセキレイのように夫婦二人三脚で、それこそ奥様は小柄の体には不釣り合いな重い三脚を、その横を同じくらいの背格好の保坂さんがこれまたずっしりと重量のあるENG(デジタルではないテレビ局伝統のビデオカメラ)を担いで走り回り、昼夜関係なく呼び出しがあるたびに我先にと飛び出して、毎日タフに仕事をこなされていた。 1998年、筑豊を舞台とした長編のドキュメンタリー番組を手がけることになった時は、それははりきって様々な映像提供に積極的に協力してくださった。 その後私はとうにテレビ報道の仕事を離れていたので、まさに何十年かぶりの共同作業が叶うこととなった。 また一緒にやれる機会はないかとずっとチャンスを狙っていたんよ。ようやく出番が来たばい!美香ちゃん!! 福岡県と直方市発注の事業で制作費がついたとのこと。未来に繋がる大事な公的記録だ。 保坂さんがこれまで撮りためていた過去の映像を含む大量の資料を託された。 はりきって構成を考え、ストーリーを作って原稿を書き、それを自分の声で録音し、題字も筆字でと頼まれた。 語りと筆仕事まで!嬉しかった! 一方の保坂さんはそれに沿った映像をはめ込み、足りないインタビューは自ら補い、BGMを選び、直方市と丁寧なやりとりをされながら根気よく編集を重ね、30分と3分の2パターンの作品に仕上げてDVD化まで。大変な重労働だったことと思う。 昨年末、無事に納品にこぎつけたとの安堵の電話を頂いたのが声を聞いた最後になった。 あんなに元気に走り回っていた保坂さん。 まさか一年後にいなくなってしまうなんて、誰が想像しただろう。 今年10月に入り1週間がたった土曜日、いつものように撮影の仕事を終え、ちょっと疲れたと床に入りそのまま翌朝まで起きてこなかったそうだ。 74歳。 最後の最後までご自分の仕事を全うされ、全てを出し切ってまさに鳥のように空へと羽ばたいて行ってしまわれた。 去年の今日10月15日、たまらず多賀神社へ。 去年と同じ快晴の青空の下、カメラを担いだ保坂さんがふらっと出てきそうだった。 13年前に父を亡くした私は、タフでピュアで温かな笑顔で私のことを、美香ちゃん、美香ちゃん!と呼んで励ましてくれる姿を父親に重ねていた。 大変な苦労をして仕上げた動画に、語り青木美香の名をバッチリ刻んだから👌と、ご自分の労は棚上げにして、応援してくれていた。 悲しくてたまらない。 共作の記念すべき宝物の動画がいつの間にかYouTubeで見られるようになっていたことを、告別式に向かう電車の中でスマホを触っていて発見した。 保坂さん、完成品やっと全部見れました。 あらためて凄い合作。誇らしいです。 今、どこにいらっしゃいますか? まさか最後になるなんて夢にも思わなかったけど、昨年の今頃、何度も仕事終わりに乾杯して笑ったこと忘れません。 本当にお疲れ様でした。 心からありがとうございました。 お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
最終更新日
2023年10月25日 07時36分18秒
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