4歳とシェイクスピア
金曜日から福岡で公演が行われている蜷川幸雄演出の舞台「コリオレイナス」に昨日子連れで行ってきた。あまり大きな声では言えないが、未就学児児童お断りのところを4歳だけどしょっちゅう小学生に間違えられる息子の体格となによりも本人が絶対に静かに見る!見てみたいという強い意志を持っていたので、それを頼りにいざ。もちろんチケットはちゃんと3枚買った。あとはまわりの人に迷惑さえかけなければ…文句を言われることもあるまいと、何度も念押しし、夕飯を早めに食べ18時半の開演に満を持して、会場へ。ちょっと前にテレビで、稽古場の様子などを交えたPR番組を見たのがきっかけだった。蜷川氏の妥協を許さない舞台づくり。ひとりひとりの動きを綿密にチェックし、檄を飛ばす姿。役になりきる俳優たちの真剣な表情。見事な長台詞と立ち回り。これは見たい!という気にさせられた。思いがけず、息子も画面に釘付けとなって、見ていた。主役を演じる唐沢寿明さんといえば、息子にとっては大好きなディズニー映画「トイストーリー」のウッディの声の人または「貼るはサロンパス」の人。ある程度なじみのある人なので余計に興味も増したのかもしれない。私自身も唐沢さんの漂わせる独特な雰囲気が好きだ。あのキリリとしながらも、ふっと肩の力が抜ける感じ。映画やテレビではよく見るけれど、舞台はみたことがない。どんなふうに、コレオレイナスを演じるのだろう。百物語などで迫力のひとり芝居をする白石加代子さんにも注目。そして、なんといっても、あの蜷川さんがどんな仕掛けをほどこすのか。シェイクスピアの戯曲や演劇の世界についてほとんど知識を持たない私たちにもそれは見えるのであろうか。とにかくわくわく冒険の夜であった。席は二階の前列中央。子連れにはちょうどいい。ただし、全体を見渡すには最高だが、舞台はかなり遠く感じられた。あそこから、その生の声はほんとうにここまで届いてくるのであろうか。演劇を見るとき、何より私が楽しみにしているのが、今まさに目の前で自分たちと同じように生き話している、役者たちの息遣いやその声をじかに聴くこと。電波を通さない人の声がする。けれども彼らは今私たちの日常から乖離した世界に身をおき、必死にコトバを繰り苦悩し喜びあっている。なにを伝えたいのだろうとこちらも耳をすまし考えるひとときが、刺激的である。そういう意味では、きのうの舞台はやはり遠かった。もちろん一生懸命、耳を傾けたが、独特の長台詞に、かなりの早口よくもまああれだけ舌がまわるものだと心底、感心するがなにを言っているのかよほど注意して聞かないと、わからない。公演4日目で役者さんたちも疲れが出ていたのか主役の唐沢さんは特に前半は声がかすれ気味で、ヒヤヒヤした。これもまた生の舞台のおもしろいところでもあるけどもし途中で、声が出なくなったら…どうなるのだろう。舞台役者は、声量が命ということをあらためて実感する。もちろん素人には考えられないほどのトレーニングをつんでのぞんでいるのだろうが、シェイクスピアだからこそなのだろうか。この膨大な台詞を、しかも大きな会場に響き渡るほどの大声で、まるまる3時間、演じきるのは、よほどのことだ。最初のうちは、ストーリーよりもまず、そんなことに驚きをかくせない素人ぶりの私であった。気になるのは、隣の息子である。大丈夫だろうか。ストーリーが追えなければ、やはり退屈してしまうだろう。幕があいてしばらくは、舞台上が全面ミラーになっていたり背景が、襖絵になっていて、次々に開いていく蜷川さんこだわりの演出が目を楽しませてくれたがだんだんと話がわからなくなってきたらしく「どっちが悪者?」とか「矢がささって血が出てるけど、ほんとうは痛くないよね」とか小声で耳打ちしてくるようになった。はらはらしながら適度に息子の相手もしつつ、こちらも舞台への集中力を保つのに必死。夫はというと、毎朝の早朝勤務ゆえに、ダウン寸前である。けれども、せっかくの機会なのでみんなで頑張って最後まで見た。不思議なもので、だんだんと耳が慣れてきて台詞がわかるようになってきた。普段使わないような言い回しも多いが、やはりそれぞれの心情を表すコトバは深い。音できくとピンとこないが、頭の中で漢字に変換して、ほほぅと思う。唐沢氏の声も、後半から復活してきた。信念を貫き、けれども母の愛にほだされ非業の死をとげるラストは、迫力だった。いつの時代も母は強しである。4歳にして、シェイクスピアに触れたわが息子も、ひとまわり成長したようだ。ストーリーはほとんどわかってないはずと思っていたが、今朝になって「コレオレイナスはなんで、敵と仲良くなったの」と聞いてきた。「なんで、あのときお母さんは泣いていたの」とも。なかなかいい質問である。敵と味方、正義と悪をなんとか見分けようとする力はひとえに、ウルトラマンや仮面ライダーの影響であるのだが、いろんなものに好奇心を持って、自分なりに考える力をもてるひとであってほしいなと思う。