時間軸と進化
エコはあたりまえ。あたりまえの考え方、あたりまえの技術はあたりまえに何にでも応用できてあたりまえに未来をつくり続ける。・・・と、昨日の日記で書いた。でも、あたりまえのことだと頭でわかっても地球温暖化対策だとか宇宙開発技術からの転用だとかあれやこれやと理由をつけないと今の私たちの生活の中にそれらがなかなか入ってこないのは何故だろう。それは恐らく「時間軸」の違い。私たちの一生と私たちが生きる地球の時間軸があまりにも違いすぎるから。たぶん昔の人はわかっていた。動物も植物もわかっている。自身を流れる悠久の時の感覚。人の一生を超えた時間軸。セルカンさんは、それを全ての物質をつかさどる原子の旅と言った。そして古代文明について好奇心を持って調べていく。私が感じる”想いを後世に”という感覚。おじいさんおばあさんの話を聞くだけでもいい。そして自分が生きることのない未来を生きる子供たちの笑顔を慈しむだけでもいい。そこからどんどん前にも後ろにも時間軸を広げたとき悠久の時の中での自分の立ち位置がわかってくる。自分の中にある宇宙がわかってくる。先祖の話も自分探査。子育てだって自分探査。宇宙物理学も自分探査。古代文明解明も自分探査。悠久の時間を自分の中に感じて今この瞬間、心からわくわくするということ。その感覚に間違いはないと思う。本能的にわかっているあたりまえの感覚だと思う。そしてそんな好奇心が、人類の進化に、これからも繋がっていくのだと思う。===こんなにも長々と引きずってしまったセルカンさんに始まって宇宙から進化までの話。(^^;)先週水曜日のセルカンさんのお話の内容が友人のブログに詳細に書いてありますのでこちらを紹介して終わりにしたいと思います。楽しかったですね、mon-pereさん♪