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カテゴリ:心をめぐる冒険
何に対しても興味が持てないし、心から何かを楽しめたことなんてないや、と感じている人は、結構たくさんいるんじゃないかと思う。やる気が出たことなんてもう何年もないんじゃないかな、何かに夢中になりたいっていう思いは人一倍強いんだけどねって思っているのに、一日が有意義だったことなんて一度もないやって感じてる人は案外かなり多いんじゃないかな。
もちろんそれは本格的に臨床的な領域にある鬱病の症状とは言えなくて、すでにそういうところにやって来てしまったっていう人から見れば、お気楽な話さって言われてしまうかも知れないんだけれど、それだって結構深刻だと思う。 無気力とか、必要以上なみじめさとか、もう勘弁してよねっていう悲哀や物憂げさを感じているときに、鬱病診断のチェックテストなんかをやってみると、それでももう臨床的な鬱病の境界線上にいる場合が多いと思う。 本屋さんに行ってみると、鬱病に関する本は一杯あるけれど、単純な人生訓みたいな程度の本だと実際のところ有効な治療効果はないと思う。 お医者さんにかかるまでは行ってないけれど、もう自分の力だけじゃどうにもならないよっていう人にお薦めしたいのは、最近では似たようなものも一杯出版されているけれど、デビッド・D・バーンズっていう精神科のお医者さんが書いた、『いやな気分よ、さようなら――自分で学ぶ「抑うつ」克服法』(星和書店)って本。これはいわゆる認知療法ってものを使ってセルフカウンセリングみたいなことができちゃうし、やっぱり効果は割と絶大なものがあると思う。もちろん簡単に完治なんてしないわけで、一つトラブルの種が消えれば思い出したようにお馴染みの問題が舞い戻ってくるわけなんだけれど、それでもその都度、ひょいって割と簡単に身をかわしてしまえる術を心得ているのといないのとでは全く話が違ってくると思う。 なかには鬱病の原因を幼年期のトラウマに求めようとする人達もいるけれど、ひとまずそんなことは過ぎたことじゃないかって、子どもの頃のことなら言えてしまう人が大半だと思うから、実は原因は身近なところ、人には正面切って相談できないような情けないところに散らばっているはずだと思う。 たとえばあなたの心の中に、もう何年にも渡って未練タラタラの相手の影が残り続けているとして、その失恋の痛手もさることながら、その人がどこか、まあ同じ空の下ということになるんだけど、この世界のどこかでとにかくよろしくやっている、少なくとも自分なんかよりは絶対にましな暮らしをしているんだろうな、なんて思えちゃう自分が情けないっていうところから鬱病は少しずつ始まるんじゃないのかな。 もうちょっと短くすっきりとこの日記を終わらせようと思っていたんだけれど、なんでかダラダラ書いてしまうんだな。また今後も鬱病とか、物悲しいうだつの上がらなさなんかについて書いてみようと思います。今日はここまで。 お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
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