『SQ 生きかたの知能指数』をめぐって
さて、先日から読んでいた『SQ 生きかたの知能指数』という本をまあ、一通り読み終わったんで、それじゃあそのことについてちょっと考えを巡らしてみようじゃないか、という気持ちを抱いてまず思い付くことは、この本の題名が僕の知り合いたちを、どういうわけか少なからず失笑さちゃう効果を持っていた、ということで、ある人なんかはわざわざ僕の鞄を勝手に開けて、「いま、どんな本読んでんだ?」「こんなん読んでんのか! 駄目じゃないか~」と言ったので、おそらくは、「生きかたの知能指数」っていう部分に少し抵抗を感じるんだろうと思うが、実際変な言葉ではあるし、そのようなある種の恥じらいは嫌いじゃない。 非常に興味深く読んだのだけど、それについて何かを説明しようとすると、うまく言葉が見つからないので、まずは、前作の『EQ こころの知能指数』のことを少し思い出してみたい。これは数年前に、鬱的状況に陥っていたときに多分読んだのだと思うが、その本によると、こころの知能指数「EQ」という言葉を、「自分自身を動機づけ、挫折してもしぶとくがんばれる能力」と定義していて、「自分自身の情動を知る」「感情を抑制する」「自分を動機づける」「他人の感情を認識する」「人間関係をうまく処理する」という五つの領域に能力を分類していた。そのころは多分、自分の情動を観察し、上手にコントロールすることを熱望し熱中していたと思うので、随分面白がって読んだに違いない。 「SQ」は、というと、何がSQなんだか広範に渡りすぎていてうまく説明できないが、個々人の情動コントロールの能力だけでなく、著者の言葉を借りると、「二人の心理学、すなわち人と人が心を結び合ったとき何が起こるかを考えようとし」たわけで、そこではより深い「共感」や社会的な場面での情動コントロールが強調されている。 「人間は相互にかかわりあって生きていくように神経回路ができている」とか、「人間の脳はもともと社交的にできている」とか、「脳は否応なしに相手の脳とつながってしまう」といったことが最近の脳神経学の研究などによって発見されてきている、ということだけれど、そりゃあそうでしょう、ともっと前からそんなことは知っていたように思うが、多分そうでもないのだろう。 たとえば、 ●ミラー・ニューロンという神経細胞は、他人が起こそうとしている行動を察知し、即座にそれを模倣しようとする。 ●魅力的な女性からまっすぐ見つめられると、男性の脳内では快感を喚起する化学物質ドーパミンが分泌される。しかし、女性が別のところを見ているときには、ドーパミンの分泌は起こらない。 などと書いてあると、何が面白いのか分からないが、妙にワクワクしてしまう。あえて科学的に説明されなくとも、我々はそのように生きてきたはずなのだけれど、マウスの実験からも「思いやりの本能」が備わっていることが確認されたり、「自分の人生で最も幸福だった瞬間を思い浮かべてみたときと、非常に親しい友人にとって人生で最も幸福だった瞬間を思い浮かべてみたときでは、脳内で活性化する回路はほぼ同一だ」と実験で確認されたと言われると、なぜだかとても興奮してしまう。 もちろんこの他にももっとたくさんの興味深い事例が紹介されているわけだけれど、EQを読んだときからある程度の時間が過ぎ、今、SQを読んで感じるちょっとした理解の違いや、あるいは理解の深まりが、結局は数年間のうちに自分に起きた変化や深まりをそのまま表しているように思えたのが面白かったんではなかろうか? まあ、もちろん、良いときもあれば悪いときもあるわけだけどね。