|
カテゴリ:心をめぐる冒険
―――ところで、祝祭男さんは、人はいったい何歳になるまで成長することができると思いますか?
祝祭男】 う~ん、よく判らないですよね。 ただ、可能か不可能か、という考え方なら、幾つになっても成長する、 って答になりますよね。 たとえば私の友人なんかは「人間25歳過ぎたら成長なんかしないよ、 変わったって思っても慣れただけだよ」ってよく言うんですけれど、 そう言われると、まあ、そうかなって思う。とは言っても、 やっぱり違うんじゃないか?という気もする。 まあ猛然と反対するなんてことはないわけですけれど。 ―――えっと、何故そんなことを訊いたのかというとですね、 私としては自分がどこに向かおうとしているのかなって判らなくなっちゃうことがよくあるからなんですね。 祝祭男】 ああ、それはありますね。しょっちゅうですね(笑) ―――そういうときは逆に『成長』という言葉に押しつぶされそうになるんですね。ああ、昨日と何にも変わってないや、みたいな。 祝祭男】 その気持ちはよく判りますね。 実際思い通りにならないことってたくさんありますし、 色々と努力してみても結局うまく行かないこともあるしね。 『成長』というのは、もっと解りやすい言葉にすれば『変化』でしかなくって、 あまりそこに大きな意味を与えすぎると苦しくなるってことはありますよね。 私もそうですしね。 ―――しばらく自失していると、まあ、駄目なもんは駄目さ! と開き直る自分がいて、それも嫌ですけどね… 祝祭男】 でもまあ、そこからもう一度また、意図をし直すわけで、 そうやって駄目だったらもう一度、駄目だったらもう一度、 と意図して実行することを繰り返すわけですよね。 やっぱり、そういうことになるんだろうと思います。 ―――そうですよねぇ… 祝祭男】 話が飛びますけれど、最近読んだ本の中にね、 親鸞についてのものがありまして、 で、この親鸞っていう人は逆にそういう「意図」、だとか「計らい」なんかを持つのは、ある種の奢りだって言っているようなところがあると思うんです。 そういう「自力」に頼るってのは浄土への往生の邪魔にしかならん、 という風にね。 ―――幾分ですけれど、ずっと若い頃よりは自分に期待しなくなったってのはありますけれどね… 祝祭男】 うんうん、なるほどね。私としては、 いわゆる「他力」の思想っていうのが、もう一つ実感として飲み込めなくって。 やっぱりある程度のところは自分でなんとかしたいし、 しっかりしなきゃって思いますからね。 まあ、当然と言えば当然かも知れませんけれども(笑) ―――そこから先は、どうなるんでしょうかねぇ? 祝祭男】 うん、どうなるんでしょうね? よく判らないですよね。 ―――何度でも意図して、そして繰り返す、 一応これでよさそうですか? 祝祭男】 そう思います。 ―――どうも、今日はちょっと地味な話になりました。 それではまた! 質問者 祝祭男の恋人 お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
Last updated
Mar 13, 2005 11:36:15 PM
コメント(0) | コメントを書く
[心をめぐる冒険] カテゴリの最新記事
|
|