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カテゴリ:都市と街路をめぐる冒険
昔、惚れた女の傍を離れがたく思っていたとき、女が
『一緒にいたいからこの場所にいるんじゃなくて、 人はその場所にいたいからそこにいるんでしょ』と言った。 『誰がその場所にいるかは、関係ない』 初めはその言葉の意味がよく判らなかった。 というか、今もよく判ったわけではないのだろうが、 年を追うごとに、これはとても面白い考え方かも知れないな、 と思うようになった。 いや、むしろ自由になってきたのだ、とのびのびする気分だ。 『この場所にいたい』という気持ちから、 『人』を取り除き、『利害』を取り除き、 『惰性』を取り除いた先には、どんな気持ちが残るのだろうか? あのとき女はどういうつもりで、『場所』なんて言葉を使ったんだろう? 昔は『場所』から『女』を差し引いてしまえば、 そこは任意の一点に過ぎなかったし、 同時に、たとえどこにいたとしても、 『女』さえいれば離れがたい場所になった。 でも純粋にその『場所』にいたい、とか、 この『場所』にいたいだけなんだ、と思ったことなどあるだろうか? 『場所』が私を繋ぎ留めるときには、 個人的であれ、集合的であれ、なんらかの記憶が碇を降ろしていたり、 カンヴァスに塗る青い下地のように、感情の色調が背景に隠れている。 『吹きっさらしの夕日のドックに海は繋がれて、風を見ている』と 昔ムーンライダーズが歌っていたけれど、 そんな風にただ単にその場所に繋がれて、 そうやって『どこかにいる』ことができるのだろうか? 予期せぬ移転や、思いがけぬ旅をするとき、 『因縁』という言葉が思い浮かんだり、 あたかも予め決められていた軌道をなぞるような気になって、 『魂の巡礼』だとか大袈裟に言ってみたりする。 でも、どれも本当ではない気もする。 『場所』というものは、そこから何か一つでも取り除いた時点で、 解体しちゃって別の『場所』になるんだろうか? あれはちょっと不思議な科白だよ。 お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
Last updated
Apr 3, 2005 12:39:55 AM
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