5/4 LFJ ディーヴァ・オペラ「後宮からの誘拐」(ラ・フォル・ジュルネTOKYO2019 公演番号227)
東京国際フォーラムホールB7 20:30〜 中央前方 モーツァルト:後宮からの誘拐 ディーヴァ・オペラ ベルモンテ:アシュリー・カトリング オスミン:マシュー・ハーグリーヴズ ペドリッロ:リチャード・ダウリング コンスタンツェ:ガブリエラ・キャシディ ブロンデ:バーバラ・コール・ウォルトン 太守セリム:ディヴィッド・ステファンソン ピアノ:ブライアン・エヴァンス 演出:キャメロン・メンジーズ 普段LFJの話はガチでは書かないわけです。ダブルスタンダードと言われればそうなんですが、日頃、というか直前まで厳しいこと言ってても、要はお祭りですから、それはそれで楽しむわけです。だから、後でまた色々言うだろうけれど、それもまた別。個別の公演については、基本、評価の軸が違うわけです。 が、今日のこれは、ちょっと書いておこうと思ったわけです。というのは、これ、評価というか、位置付けが難しい気がするので。 まず、そもそもホールB7というのは、率直に言うと最悪の環境なんですよね。よく、LFJ、というか国際フォーラムの「ホール」は、AとC以外は要は会議室だろう、ということを言われるわけですが、その中でもB7は最悪。というのは、言って見ればだだっ広い「披露宴会場」みたいなとこなんですね。ただ、披露宴会場は天井があるけれど、ここは上が機材があったりして、一応天井に反響板的に置いてあるとはいえ、横方向がどうしようもない。ホールCもいい環境とは言えないし、定在波も結構出るんですが、でも、そもそも反響しないよりはまし。他のB5やG409もにたようなものとは言え、あれはサイズがもっと小さいからそれでなんとかなる。でも、B7は、まぁ、最悪です。ここで独唱なんてやらせるのは可哀想。 ただ、私は今回は中央ブロックの前の方が取れたので(抽選でたまたまですよ、いや全く)、聞けてはいるんですが、多分、後ろの方って、結構聞こえてなかったりするんじゃないかと思うんですよね。多分PAは入れていなかったと思うし。 この、ディーヴァ・オペラという団体、ピアノ伴奏による室内オペラカンパニー、なんだそうですが、合唱が、今回だけかも知れないですが、ないんですね。後宮は登場人物は、語り役のセリムを入れても6人なのでこうした形式には確かに合う。但し、各員、声量はそれほどは無い。だから、こういう場所だと、苦しいんだと思うんですね。で、やはりなぁ、と思うのは、苦しいんだけど、叫ばないんですよ。基本。ベルモンテは多分調子悪かったんだと思うけれど、いい意味で無理をしない。聞こえないかも知れないけれど、ちゃんと歌う。これがきちんとしている。だから、後ろの方では、フラストレーション溜まったんじゃないかな、とも思うんですよね。でも、この方が、本来正しいやり方。日本のどこぞの歌手互助会なんぞとは基本姿勢が違う。 今回の公演はある種の短縮バージョンでした。短縮といっても楽曲はほぼ省略無し。序曲はピアノなので形が付いたくらいのところで本編へ。セリフ部分も結構端折っていたと思います。そもそもジングシュピールなので、セリフ多いですからね。楽曲は、ベルモンテの歌を1つ端折ったんじゃないかと思いますが、あとは、1幕と3幕最後の合唱部分を一部省略したくらいで、その程度。結果、15分の休憩込みで2時間で終了。 後宮からの誘拐、というオペラとしての評価は、これまた違う視点があるわけです。 最初に言ってしまうけれど、そもそも後宮ってそれほど上演頻度は高くないと思います。特に日本では。で、私の場合、後宮に関してホームポジションは、30年近く前にチューリッヒで聞いたやつなんです。グルベローヴァのコンスタンツェ、指揮はアーノンクール。録音ならショルティ盤。やはりグルベローヴァ。 そんなんと比べたら全部ダメだろ、と言えばまぁそうなんですけどね。 で、今回の公演。それにしても、まず、初手から分かっててもずっこけてしまうのが、序曲。ピアノですからね。まぁ、率直に言ってピアノとしても不満はあるけれど、一応許容範囲ということにしておきますが、しかし、そもそも、あの序曲の鳴り物が全く無い訳です。当たり前なんだけど。ピアノだから。でも、それが、こんなにもがっかりするものだとは思わなかった。後宮の序曲、ひいては後宮というオペラ自体が、あの鳴り物で「その世界」に引き込まれているという面があったんだなぁ、と思う訳です。でも、これ、そもそもオケバージョンを聞いてないとさっぱり分からないんですよね。 で、コンスタンツェですが、正直言うと結構頑張っていたと思います。まぁ、ねぇ、ホームポジションとは比べるべくも無いんですが。というか、やはり色々あるんですけどね。ただ、コンスタンツェをあのレベルで、一応歌えるのは立派だと思います。多分、室内歌劇場レベルとか、プラハやブダペストあたりの国立劇場なら十分通用すると思います。チューリッヒだと…箱はいいけど、歌の精度がね…ただ、コンスタンツェだけはちょっと頑張ってしまってる感じはあって。まぁ、役柄上しょうがないけれど。新国立劇場だと、厳しいでしょうね。 他は先に書いた通り。 あと、さすがに日常的に公演に出て、同じ演目を詰めているだけあって、演技立ち居振る舞いの類はちゃんとしてます。つまり、無駄な動き、理屈に合わない動きがないんですね。この辺は、お客との距離が近い室内歌劇の場合はやはり鍛えられるのでしょう。こういう意味では、やはり練れているなぁ、と思わされます。 で、結論から言うと、楽しめたのは事実です。ただ、「オペラってこういうもの」と思われると、後ろの方で観てた人には、ちょっと可哀想かな、というのはあります。それと、やはり、ピアノでオペラってのは、限界があるんですよね… ただ、ここで考えなきゃいけないのは、このフォーマットで、LFJで、出して見せたということ。LFJの場合、ホールB7は千人入るかどうかで、チケットは3,500円。サイド席は3,000円。それで3公演。せいぜい900万円。一方、例えば新国立劇場でやれば、合唱は要る、オケも要る、舞台装置等々はもっと大変、でも4,5公演打って、実際の入りでも2千人入るホールが7割埋まるとして1,400人、チケット代は仮に一人当たり1万円(多分平均値はもっと高いけど)として、5〜7千万円。それで助成金とかが新国は出ますからね。チケット代は予算の半分もいってるかどうかだった筈です。その辺はある程度バックオフィス的な費用にも回すとしても、掛けられる額が違う。無論今回のは居抜きで持ってきて上演してるので、それほど掛からないにしても、このチケット代だとやはり安いと言ってあげないといけないんだと思います。 でも、これがオペラだ、って言われると、黙ってグルベローヴァを聞かせたくなる訳ですよ。DVD見せたい訳ですよ。「本物」はもっと凄いぞ、って。いや、LFJが、或いはこの公演が紛い物だって言ってるわけではないんですよ。決して。ただ、やはり、「限界」ってものがあるんだなぁ、とは思う訳です。この辺の話は、他で思うところもあるし、結構深い話なので、LFJ後に改めて書こうと思います。