5/3 エドウィン・クロスリー=マーサー「冬の旅」(LFJ TOKYO 2018 M137公演)
東京国際フォーラム ホールB5 21:00〜 シューベルト:冬の旅 バリトン:エドウィン・クロスリー=マーサー ピアノ:ヨアン・エロー これは個人的に勝手に決めていることなのだけれど、通常、LFJの公演は、個別に取り上げて評するというのはしていません。良くも悪くもLFJはお祭り。しかも、殆どの公園は、通常のコンサートのほぼ半分程度の内容になるし、率直に言ってホールもあまり音響的には優れているとは言えないし。なので、まとめてお祭り扱いとしてきた訳です。コルボ指揮のマタイ受難曲とかでも、それは基本的に変えませんでした。 が、今回は敢えて独立して、いつもの公演評のように書くのは - いや本来このブログはLFJのブログだから、LFJの書き方が本来で、普段の公演の書き方がイレギュラーと言うべきなのか?ま、勝手にせいやって話ですね - 、何と言っても「冬の旅」だから。実際、公演時間は予定通り(!) 70分でしたが、この尺は冬の旅の場合ごく普通のコンサートの長さなので。 そして、この公演が、お祭りの中の1公演で済ませてしまうにはあまりに惜しいので。 実は、この人のことはよく知りませんでした。でもまぁ、冬の旅だしね、当然買うよね、というノリで買っていたのですが、買ってから聞いた話では今欧州で売り出し中らしいという。なかなかいいらしい、というので、楽しみに行ってきました。 で、どうだったか。 まず、声がいい。声というか、全般に、歌を歌うという意味で、非常にパフォーマンスが高い。フランス出身、1982年生まれだそうなので、今36歳とかだと思いますが、ドイツ語はネイティヴではないので、やはりその面では若干「あれ?」というところがあったりはしますが("H"どこ行った?的な)、しかし、そういうことを措いて余りある、豊穣な声。そして、コントロールが抜群。ちょっとアレな言い方ですが、極めて高性能な楽器と言っていいでしょう。 しかも、歌としてもとても素晴らしい。このレベルは十分クリアしています。 敢えて言えば、「ゲルネじゃない」「ボストリッジじゃない」というレベル。それは悪い意味でなく、「ゲルネでもボストリッジでもないクロスリー=マーサーという歌手がいる」という意味で。 要は、歌としては云々するレベルをとっくに超えています。で、問題はその中身、というかアプローチ。 通常、一般的に、「冬の旅」は連作歌曲集であって、ある一連の物語があるかのように受け止めてしまう傾向があると思います。これは、同じシューベルトの「美しき水車屋の娘」のイメージにも影響されていると思うし、実際、大きく見れば、「おやすみ」で旅を始めて、ついに最後の「辻音楽師」で伴に往く者を見つけた、とか、そんな風につい受け止めてしまうのではないかなと思います。 敢えて言うなら、クロスリー=マーサーのアプローチは、冬の旅を一連の物語として捉えるのではなく、「冬の旅」という物語が仮にあったとしても、この24曲を物語を紡ぐというよりは、24の点景として描くようなアプローチをしている、と言っていいのかと思います。つまり、24曲各々の曲が最も映えるようなアプローチを臆せず取りに行っていると言っていいでしょう。 これは確かに賛否両論分かれる所だと思います。元々このツィクルスは、原譜(音域的にはテノール向けとなるか)では各曲の調整関係が....みたいな話もあるし、何よりやはり「物語」を感じてしまうのに引っ張られてしまうと思います。そこを、クロスリー=マーサーは、思い切って - 多分歌いたいように - 歌っています。 例えば第11曲「春の夢」。若者が夢想していると現実に引き戻される。その後のもう一度夢見るような回想。私が使っているベーレンライター版では、etwas bewegt > Schnell > Langsam と指示が入るのですが、このLangsamをむしろ足早に行ってしまう。その結果、どうしても緩-急-緩と言った趣でじっくりと慨嘆するような感じになりがちなのですが、むしろさらりと進めている。その結果、確かに、歌としては締まりが効いてくるのですね。 或いは、第21曲「宿屋」。これもこのツィクルスの中では比較的ターニングポイントとして見られる事の多い曲です。私なぞはこの曲歌う時はどうしてもドラマチックに持って行きたくなってしまうのですが、ここもSehr langsamの指示のところ、それほど極端に緩めることもなく、歌い進める。その中で僅かにアクセント - 歌唱上の表現について、という意味です - を付けていたのが、treuer 忠実な という言葉。これは、墓場に安寧を求めたが、受け入れられなかった、ならば忠実な杖と共に旅を続けよう、という歌詞の中で出てくるのですが、ここでtreuerに表現上のアクセントが来るのか、というのは、なかなか出来ることではない。 そういう意味では、これを24曲、半ば再構築するようにして積み上げたというのが、近いのかも知れません。正直言えば、「冬の旅」としての物語性を崩してみた結果といえばいいのか。ただ、それをやることが許されるだけの歌唱としての実力があるから、こういうアプローチが出来るのでしょう。 この人、今日 2018年5月5日に、今度はアイスラーを歌うそうです。よりによってアイスラーとは。そのせいあってか、現時点で数少ないまだ買える小ホール公演になっています。勿体無い.....