11/4 ウィーン弦楽四重奏団
ミューザ川崎シンフォニーホール 13:30〜 3階右手 ハイドン:弦楽四重奏曲第39番 ハ長調op.33-3「鳥」 モーツァルト:弦楽四重奏曲第17番 変ロ長調 K.458「狩」 シューベルト:弦楽四重奏曲第14番 ニ短調D.810「死と乙女」 <アンコール> モーツァルト:弦楽四重奏曲第15番 〜メヌエット ウィーン弦楽四重奏団 正直いうと、「ウェルナー・ヒンクってまだ生きてたんだ!」というのが、このコンサートを知って最初に思ったこと。だって、確かライナー・キュッヒルとかと同世代か、上の世代でしょ?確か。ウィーン弦楽四重奏団自体は、一昔前の、カメラータへの一連の録音とかで知ってはいたけれど、といったところ。 で、たまたまこの日予定がなかったのと、某安売りチケットサイトで出て来てたので、それに飛びついたわけです。 で、どうだったか? うん、言うほど悪くも、良くもないんだけれど....................うーーーーん。 演奏自体は、まずまずだと思います。正直言うと、枯れてるなぁ、という感じの演奏。先月、エベーヌSQを聞いたからというわけではないにせよ。ああ、弦楽四重奏ってこういう音楽でしたよね、という感じ。もうちょっと瑞々しさがあってもいいかな、とは思うかな。ただ、これはこれでいい。 問題は、会場とお客、なんですよね。 ミューザ川崎は確か1,800人くらい入る、すり鉢状(あれはワインヤードとは言わないと思う)のホール。そこの、4階席や横上方を封鎖してるので、多分収容人員1,400人くらい。それが多分8割以上の入り。なので、1,000人以上、或いは1,200人入ってる。それはいいんです。ただ、私がそうであるように、いろいろ安売券なり出している。多分、相応に招待とかも撒いてると思います。主催は神奈川芸術協会ってところで、まぁ、それはいいんですが、正直言うと、この演目で、この演奏スタイルだと、このホールで聴くのは結構しんどいんですよね。 たとえば。何処ぞの日本のオケでも海外のオケでもいいんですが、マーラーか何かをやったとする。これがブルックナーでもブラームスでも、まぁベートーヴェンでもモーツァルトでもそうなんですが、へろっと聞きに行った場合、端的に言えば何も考えなくても楽しめるわけです。サウンド的に。それはそれでいいんだと思うんですよ。 ところが、元々この演目は、弦楽四重奏としても、結構集中力を持って聞かないと、楽しみにくいんだと思うんですね。ハイドン、モーツァルトも、どちらかというと劇的緊張感を持って聞かせるという類の曲ではない。シューベルトも、確かに「ロマン派の音楽」ではあるけれど、造りとしては古典的な造作を意識して作られているから、そういうところも含めて聞かないと、飽きる。 そして、サウンド的には、弦楽四重奏というのは、やはり、オケには負ける。 そこに輪をかけて、この人たちの演奏は、枯れた雰囲気を持っている。要は音的に起伏を激しくして聞かせるという感じではない。こうなると、楽しむにはこちらが多少なりとも集中力を持って、或いはアグレッシヴに、「ウンウン、それで?」という感じで聞きに行かないと、保たない気がするんですよね。 しかも、ホールは大ホール。たとえばこれが昔のカザルスホールだったり、或いはこのあいだのエベーヌSQが演ったフィリアホールのような小さいサイズのホールだったら、それでもそれなりに聞ける気はします。たとえば、エベーヌSQの後半、ジャズと称するのは、私には中途半端で面白くなかった。でも、あのくらいのホールであれば、そして彼らの弾き方であれば、サウンド的に面白い、という聞き方はあると思うんですね。 いや、集中力を持って聞ければ、それでも問題はないんだけれど、そこが問題で、少なくとも3階あたりのお客は、全然集中力ないんですよ....なんかガサガサ、ゴソゴソしてるんですよね。 まぁ、そういうチケットで聞きに行く方が悪いんです。はい。ただ、それにしても、なんだろうな、これ、って感じは否めない。 多分、聞いているお客も、上の方に座ってる人は特につまらなかったんじゃないかなー、と思うんですよね。だって、サウンド的に面白くないもの。私は破格の値段でウィーンSQが聞けて、良かったけど、残念だったかなー、という程度なんだけども... コンサートとして成立させるにはこれしかない、ということなんだとは思います。別にお客を選別しろとも言わない。ただ、こういう演奏会にしてしまうと、どうしても無理はあるんだな、というのを改めて思った次第。 じゃぁお前に解決策はあるのか、と言われると、一言もないんですけどね。でも、敢えてお客の方に関して言うなら、今の世の中見るにつけ、「あなたが見ているもの、知っているつもりのものだけが現実なんじゃない」ということは、気付いて欲しいとは思いますけどね。そういうことを言うと「上から目線」とか言われるんだろうけれども、まぁ、そう言う言い方する人間は本当に「下」なんでしょうがないじゃん、とは思うんだけれど、それにしても、「私は全能ではないのだ」「私には知らない世界がある」という絶対的な内的保留というものは持とうよ、とは思います。 主催者の方は、まぁ、死活問題だから、放っといても考えるだろうし。