この世がすべて塵ならば
今年は今日からレントが始まった。初日は「灰の水曜日」で、悔い改めのしるしとして額に灰で十字架をかいてもらう。今年は去年までと違う教会に行っているので、少しずつ式のやりかたも違った。たとえば十字架をかいてもらう時の言葉が違った。Remember, you are dust, and to dust you will return. 人間ががもともと神によって塵から造られたことを思い出す。聖歌も今まで歌ったことのないのがたくさんでてきた。いちばん気に入ったのはAshes。まさに灰の水曜日のうた。ミサの最後にこれを歌いながら列をつくり、額に灰をもらう順番を待った。でも4節まであるのだが、1節の後半に、ちょっとわからないところがあった。We rise again from ashes, from the good we've failed to do.We rise again from ashes, to create ourselves anew.If all our world is ashes, then must our lives be true, an offering of ashes, an offering to you.私たちは再び起き上がる、塵から、私たちがしなかった善から。私たちは再び起き上がる、塵から、私たちを新たにするためにもし私たちの世界がすべて塵ならば、私たちの命(生活?)は真実でなければならない(真実であるに違いない、か?どっちだ?)、塵の捧げもの、あなたへの捧げもの。If とthen の関係がよくわからない。歌になってるくらいだから、一般に受け入れられていることなのだろうが。どうしてこの世がすべて塵だと私たちの命は真実なのだ?途中の論理がとんでるんだろうか?神は、塵から私たちをつくった。そして息をふきこんだときに、私たちは生きるものとなった。神の息がふきこまれているから私たちの命は真実だ、ならとりあえずわかる。みなさん、どうっすか?