カテゴリ:札幌の記憶
「おばあちゃんの実家は大通公園のすぐ前にあってさ。三越から南1条を丸井の方に行ったところにね…」
この話を、僕は母から度々聞いていた。 母は少し自慢げにこの話をするのだけど、ファミリーヒストリーには特に興味を覚えることもなく、ずっと聞き流していた。 だけど、先日、 ①その実家が「市村染物店」という名前であったこと。 ②場所は丸井本館の隣であったこと。 ③祖母はそこから庁立札幌高等女学校まで人力車で通っていたこと。 と、話が少し具体的になったので、今度札幌に行ったらそこに行ってみようかな、と思った。 そしてこの度、行ってみた。 事前に札幌市中央図書館デジタルライブラリーのウェブサイトで古地図(明治43年9月10日発行「札幌区商工新地図」)を眺めてみると、母が話した場所に「市村染舗」の名前を見つけた。 そして隣には今井洋物店と今井呉服店(今の丸井今井)があった。 ここに違いない、と思い、現地に向かった。 その場所は大通公園のテレビ塔に近く、今は丸井今井の大通館が建っていた。 古地図によれば、大通館の東側の通りに面した場所が「市村染舗」だった。 何か昔の名残はないだろうか…と、大通館をぐるっと回ってみたら、大通公園側にこんなサインを見つけた。 「小説家・竹林無想庵生誕地」を示す説明板。 あまり期待はしていなかったけど、市村染舗がかつてここにあったことを示すものは、やはりどこにも見当たらなかった。 だけど今回、札幌に暮らすおじさん(母の弟)からも、母の話と同じ内容を聞けた。 だから、この場所に祖母の実家があったことは間違いないのだろうと思う。 そしてこれが、明治43年9月10日に発行された「札幌区商工新地図」の一部。市村染舗の字の上に屋号も書いてある。(札幌市中央図書館デジタルライブラリーより) 今のところ、この地図と、母とおじさんの話以外に、市村染舗、あるいは市村染物店があったことを示すものは見つかっていない。 だけど、いつもと違う目線で大通を歩くことができた。 楽しかった。 お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
Last updated
August 14, 2024 06:13:02 PM
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