オンリーワン
かつて、オンリーワンという言葉がカッコいい、ともてはやされた時代があった。私の記憶によると'94年に公開された「依頼人」という映画に5,000人の中から抜てきされ、子役俳優として一躍脚光を浴びたブラッド・レンフロが、雑誌で語っていた。 「誰かのような、とは言われたくない。ブラッド・レンフロは世界でただ一人、オンリーワンだ」 彼は12歳とは思えないほど大人っぽく、演技も素人は思えないほどの迫力で、少年としての輝きに満ちあふれていた。とにかくカッコよかったから、「オンリーワンだ」と言い切っても、納得してしまう存在感があった。 今、同じ言葉を言ったらどうだろう。すごくカッコ悪いのではないだろうか。 「オンリーワンは、金もなければ自由もない。なぜならば、オンリーワンに対してはアーティストにでもならない限り、カネを払おうと思う人はいないし尊敬する人もいないからだ。一生そういう生活でも良いのであれば、オンリーワンを目指せばよい。そして、第ゼロ次産業に従事し続ければよいだろう。ただしその一生は楽ではあるが楽しくはない」『格差社会サバイバル』高橋朗・著 そうなのだ.......自分らしく生きることを重視するあまり、オンリーワンを目指したとしても、それはもはや誰からも尊敬されない、アーティストにでもならない限り。 日本は変わってしまった。 とは言え、社会は変化するのが当然なのだから、今の時代が特別というわけではない。少し以前の過去と比べて悲惨な道を辿っていくだろう、ということがわかってしまった。 格差社会の到来は、もう歯止めがきかない。。。。 下流の層にいる人ほど「自分らしさ」にこだわると言われる。これは何故だろう。一見、逆に感じるのだが......。 上流の層にいる人たちは、コミュニケーション力があるのだ。おのずと他人に対する配慮、思いやりというものがあるため、自分らしくいるための主張より、周囲の環境に気を使う。そのため、人に頼まれることや頼りにされることも多くなる。仕事の依頼も来るし、人の紹介を通じて人脈も広がりやすい。 「自分らしさ」を主張しすぎる人は疎まれるし、嫌われる。誰も、他人が他人らしくあることに関心などもたない。自分にとって、何がしかのプラスになる他人にはむしろ関心を持つ。 つまり、こういうことだ。 自分らしさを主張しすぎると、他人からは関心をもたれない 他人のことを考えている人は、好意と関心をもってもらえる 自分のことばかり話す人と、いつも会いたいと思いますか? 自分の話をじっくり聞いてくれる人と、自然に会いたいと思いませんか? 結局、オンリーワンを目指そうとするとうまくいかないのです。 イチローのような天才的な人をのぞいた私たち凡人は、周囲のコミュニケーションに気を使った方が、結果的にはプラスなのだ。自然に好かれるし、人が寄ってくる。そういう人は、見わたすとコミュニティの中のナンバーワンであるはずだ。そして、そういう人がオンリーワンになっていく。 オンリーワンは目指してもなれない。 長所を磨いてナンバーワンを目指そう。 いつか、その個性はオンリーワンの輝きを放っているはずだから。。。