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今日は広島県呉市に住む人にとっては 特別な日だ。 私は呉に住むようになって13年。 まだまだ呉の人になれたのか?どうなのか? 今日の日を戦争の悲惨さを忘れない為 ちょっと書いて置こうと思う。 呉市街地夜間無差別大空襲 (1945年7月1-2日) ~呉市史上で最大の火災、犠牲者およそ2000人~ 呉は、日本本土で、沖縄戦と共に、 唯一の本格的な戦場になった都市です。 中国地方で、最初の本格的な空襲が行なわれました。 日本の大都市のほとんどを焼き尽くしたB29部隊は、 6月中旬から中小都市の空襲を開始しました。 呉はその重要な目標の一つとして選ばれ、 B29部隊の「最大努力」による爆撃で、 ついに市街地が焼き払われてしまったのです。 B29が、曇り空の呉上空に達し第一弾を投下したのは 7月2日の午前0時2分でした。 燃え上がった炎を目印にしてB29は次々と 呉市街地上空に侵入し、すりばち状の呉市街地の周辺から 中心部へと焼夷弾を投下していきました。 周辺部を焼かれて、市民は逃げ道を封じられ、 防空壕に逃げ込んだ人たちも、猛烈な火炎や吹き込む煙に まかれて蒸し焼き状態になり、無残な死をとげました。 呉を襲ったB29は合計152機、 全部で16万454発(1081・7トン)もの焼夷弾が投下された空襲は、 午前2時5分まで続けられました。 この空襲で呉市街地は焼け野原となり、 犠牲者は2000人以上ともいわれます。 約337ヘクタールが焼失し、12万5千もの人が家を失いました。 B29部隊の「最大努力」によるこの空襲は、 呉市が始まって以来の大火災を引き起こし、 市民の生命を奪って、くらしを破壊し、 街の景色を一変させたのです。 資料は全て呉戦災を記録する会よりお借りしました。 戦争は本当に悲惨ですね。 2度とごめんです。 でも、今この時も世界のどこかで 争いが起こっていると思うと 何とかならないのか?と 悲しみと怒りと言葉にならない気持ちを覚えます。 呉に住んで13年。 この日の事を知ってはいましたが 実際どんな風に行われたのか どれだけの人が被害にあったのか 始めて知りました。 子供達が学校から帰ったら教えてあげるつもりです。 呉は今日は朝から大雨です。 天も悲しんでいるのかな? お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
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