サウジアラビア上空で感じた中東の地に宿る悲しみ lebanon滞在記【3】
写真はレバノン杉のある山です、テーマにあう画像がなくて・・・)レバノンへは、関空 ⇒ ドバイ、ドバイ ⇒ レバノンという順で入りました。そのドバイ・レバノンの間、サウジアラビア上空を飛行していたのですが、突然喘息状態が始まり、アレルギーがひどい状態となり、もう悶絶状態でした。しばらく分からないし、自分が何か悪いことをしたからこういうことが起きたのではと自分を省みていました、が、病気というよりも、人の苦しみ・悲しみが襲ってくる感覚で、胸の中にたまってくるこの感じはなんだろうと思っていました。突然瞬時にイラク戦争から今に至るまで見た様々な悲惨な映像がフラッシュバックされてきました。飛行機はサウジとイラクの国境線近い部分を飛行していました。「憎悪の連鎖」。イラク戦争の爆撃の瞬間。バグダット市内に広がるサイレン、対空砲火・・・。映像と音が蘇ります。戦争で爆撃を浴びて死んだ人、アグレイブ刑務所での米兵による虐待、犠牲となったイラク兵、米兵・・・、戦争後も聖戦士と名乗り報復を繰り返す実態、人質となって斬首された香田さん、多くのイラク市民・・・、テロで子供達の遺体がバラバラになった映像、大量に流された血・・・ 数々の報道で見た 殺戮の映像が連続して見えてくるのです。恐怖、憎悪、そして土地に宿る悲しみ・・・。土地の悲しみが一気に上空にわきあがってくるようでした。それらのことが分かると、私は自分の胸からも「悲しい」とはっきり声が聞こえました。悲しみがこみ上げしばらく涙を流していました。共感し、分かることは愛と感じます。 すると今度は上空に、未来に生きる命のような存在を感じました。『絶対大丈夫だから ボクを産むママなんだから 信じてよ』不思議ですがこんな声を感じたのです。同時に多くの未来に生きる命の存在を感じていました。おめでたくもありますが、こんなことに私は救われ、希望を感じたのです。悲しい過去と明るい未来は同時にあるのです。というよりも「今」変えていけるということでしょうか。悲しみを愛に・・・聖書を持っていったので読んでいくと、中東で起こる戦争や内戦に関しての「預言」と見られる記述を沢山発見しました。もはや神々に祈るだけではどうにもならず、今生きている人間達がどうにかしなければということがよく分かりました。レバノンに行って愛が表現されることを待ち望んでいる、多くの多くの亡き魂も、理不尽に命奪われし魂も、生きる人たちも、一緒に向かっていく、そうこの身で感じ、ベイルートへ向かったのです。何のために向かうのか、分からせていただく経験でした。