|
テーマ:楽天写真館(356121)
カテゴリ:いじめ
ご無沙汰しておりま~す! 「世界で一番貧しい大統領」として知られる南米ウルグアイの ホセ・ムヒカ前大統領(80)が初来日して・・・ 今日(6日)の東京都内での、記者会見で、ムヒカ大統領は、 今回の来日について・・・ 「かねて日本に興味を抱いており、学びたいから来た。 日本の人たちに、人類や世界はどこへ向かっているのだろうかと聞きたい。 私たちがどんな将来を夢見たいのかを考えずして、 私たちの将来はないのではないか」 ・・・と、おっしゃったそうです。 この問いに・・・ 紛いなりにも(?)答えられる、おとなのひとりでありたいと、 思います。 ・・・うぅ。 せっかくなので・・・ 2012年地球サミット(リオ会議)にて、話題になったスピーチを、 ご紹介させて頂きますねぇ~。 YouTubeにて、ご覧いただけます。 https://www.youtube.com/watch?v=jwbaoi6a4BU&nohtml5=False ~~~・・・~~~ 【世界で最も貧乏な大統領】 会場にお越しの政府や代表の皆さま、ありがとうございます。 ここに招待いただいたブラジルとディルマ・ル瀬不大統領に感謝致します。 私の前に、ここに立って演説した快きプレゼンターの皆さんにも感謝致します。 国を代表する者同士、人類が必要であろう国同士の決議を、 議決しなけばならない素直な志を、ここで表現しているのだと思います。 しかし、頭の中にある厳しい疑問を 声に出させて下さい。 午後からずっと話されていたことは、持続可能な発展と世界の貧困をなくすことでした。 私たちの本音は、何なのでしょうか? 現在の裕福な国々の発展と消費モデルを真似することでしょうか? 質問させて下さい。 ドイツ人が一世帯で持つ車と同じ数の車を、インド人が持てば、 この惑星はどうなるでしょうか? 息するための酸素が、どれくらい残るでしょうか? 同じ質問を別の言い方ですると、西洋の富裕社会が持つ同じ傲慢な消費を、 世界の70億~80億人の人ができるほどの原料が、この地球にあるのでしょうか? 可能ですか? それとも、別の議論をしなければならないでしょうか? なぜ私たちはこのような社会を作ってしまったのですか? マーケットエコノミーのこども、資本主義の子どもたち、 すなわち、私たちが間違いなくこの無限の消費と発展を求める社会を作って来たのです。 マーケット経済がマーケット社会を造り、このグローバリゼ―ションが、 世界のあちこちまで原料を探し求める社会にしたのではないでしょうか。 私たちが、グローバリゼーションをコントロールしていますか? あるいは、グローバリゼ―ションが私たちをコントロールしているのではないでしょうか? このような残酷な競争で成り立つ消費主義社会で、 「みんなの世界を良くしていこう」というような共存共栄な議論はできるのでしょうか? どこまでが仲間で、どこまでがライバルなのですか? このようなことを言うのは、このイベントの需要性を、批判するためのものではありません。 その逆です。 我々の前に立つ、巨大な危機問題は、環境問題ではありません。 政治的な危機問題なのです。 現代に至っては、人類が作ったこの大きな勢力を、コントロールしきれていません。 逆に、人類がこの消費社会に、コントロールされているのです。 私たちは、発展するために、生まれてきた訳ではありません。 しあわせになるために、この地球にやってきたのです。 人生は短いし、すぐ目の前を過ぎてしまいます。 命よりも高価なものは、存在しません。 ハイパー消費が、世界を壊しているにも関わらず、 高価な商品やライフスタイルのために、人生を放り出しているのです。 消費が社会のモーターの世界では、 私たちは消費をひたすら早く多くしなくてはなりません。 消費が止まれば経済が麻痺し、 経済が麻痺すれば不況のお化けが、みんなの前に現れるのです。 このハイパー消費を続けるためには、 商品の寿命を縮め、できるだけ多く売らなければなりません。 ということは、10万時間持つ電球を作れるのに、 1000時間しか持たないで電球しか売ってはいけない社会にいるのです。 そんな永く持つ電気は、マーケットに良くないので、作ってはいけないのです。 人がもっと働くため、もっと売るために、 「使い捨て社会」を続けなければならないのです。 悪環境の中にいるのにお気づきでしょうか? これはまぎれもなく政治問題ですし、 この問題の解決の道に私たち首脳は、世界を導かなければなりません。 石器時代に戻れとは言っていません。 マーケットをまた、コントロールしなければならないと言っているのです。 私の謙虚な考え方では、これは政治問題です。 昔の賢明な方々、 エピクロス、セネカやアイマラ民族まで、こんなことを言っています。 「貧乏な人とは、少ししかものを持っていない人ではなく、 無限の欲があり、いくらあっても満足しない人のことだ」 これはこの議論にとって、文化的なキーポイントだと思います。 国の代表者としてリオ会議の決議や会合を、そういう気持ちで参加しています。 私のスピーチの中には、耳が痛くなるような言葉が、結構あると思いますが、 皆さんには、水源危機と環境問題が問題源でないことを、分かって欲しいのです。 根本的な問題は、私たちが実行した社会モデルなのです。 そして、改めて見直さなければならないのは、私たちの生活スタイルだと言うこと。 私は、環境資源に恵まれている小さな国の代表です。 私の国には300万人ほどの国民しかいません。 でも、1300万頭の世界でもっとも美味しい牛が、私の国にはあります。 ヤギも800万から1000万頭ほどいます。 私の国は、食べ物の輸出国です。 こんな小さい国なのに、領土の90%が資源豊富なのです。 私の同志である労働者たちは、8時間労働を成立させるために戦いました。 そして今では、6時間労働を獲得した人もいます。 しかしながら、6時間労働になった人たちは別の仕事もしており、 結局はいぜんよりも長時間働いています。 何故か? バイク、車などリボ払いやローンを支払わないといけないのです。 毎月2倍働き、ローンを払っていったら、 いつの間にか私のような老人になっているのです。 私と同じく、幸福な人生が、目の前を一瞬で過ぎてしまいます。 そして自分にこんな質問を投げかけます。 “これが人類の運命なのか?”私の言っていることは、とてもシンプルなものですよ。 発展は、幸福を阻害するものであってはいけないのです。 発展は、人類に幸福をもたらすものでなくてはなりません。 愛、人間関係、子供へのケア、友達を持つこと、必要最低限の物を持つこと。 幸福が私たちのもっとも大切なものだからなのです。 環境のために戦うのであれば、 幸福こそが環境の一番大事な要素だと言うことを、覚えておかなければなりません。 ありがとうございました。 ~~~・・・~~~ お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
最終更新日
2016年04月06日 20時59分35秒
[いじめ] カテゴリの最新記事
|