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カテゴリ:いじめ
ご無沙汰しております! 最近、ニュースを観ると・・・ 韓国の市民団体が、釜山の日本総領事館前に、 旧日本軍の慰安婦被害者を象徴する少女像を、設置したことへの対抗措置として、 日本政府が、長嶺安政・駐韓大使の、一時帰国を決めたって~。 ちょっと前の東京新聞の「本音のコラム」で・・・ 師岡(もろおか)カリーマさんという方が、おっしゃっていたのですが。 個人的には、とても秀逸なご意見だと、共感、感動したのですよ~。 短いので、記事を、記載させて頂きますねぇ~。 ~~~・・・~~~ 本音のコラム 慰安婦像と誠意 師岡カリーマ(アナウンサー) (2016.12.31 東京新聞 より) 日韓の慰安婦問題に関する二十六日付東京新聞の社説に共感した。 ソウル日本大使館前に設置された慰安婦像撤去要求にもふれていたが、 日本政府はなぜここまで撤去にこだわり続けるのか。 安倍首相はすでに「心からのおわびと反省の気持ち」を表明した。 つまり日本は責任を認めたのだ。 それでも、韓国側の怒りが収まらないのなら、選択肢は、二つに一つ。 もう謝ったんだからいいじゃないか、と開き直るか、 もういいよといわれるまで謝り続けるかだ。 後者の方が、エレガントだろう。 どうすれば、日本の誠意は伝わるのか。 例えば発想転換をして、大使館員が毎朝像に花を手向け、 手を合わせるのはどうだろう。 非公式の行為だからプレスは呼ばず、パフォーマンスだとやゆされてもいとわず、 罵声を浴びてもひるまず、碑文の内容がフェアか否かも別として、 ただ慰安婦本人たちだけのために粛々と祈れば、 かたくなな心もいつかはほぐれるかもしれない。 大使館前だからこそ、さりげなく続けられる。ありがたいことだ。 フィリピンなど、慰安婦問題があまり報道されない国には、 いっそ日本自ら記念碑を建ててはどうか。 イメージ向上という点ではこちらの方がクールだし、 これぞ究極の愛国心だと思うのだが。 今年も今日で終わり。 来年こそは、市民が犠牲になる無益な戦争のない世界に一歩近づきますように。 ~~~・・・~~~ いつまで謝り続けりゃいいんだ!?・・・って、おっしゃる意見も、 聞いたことがあります。 でも、 謝り続けることが、謝罪ではないでしょうか? また、 これは、国家だけの問題ではなくって、 人間の尊厳、女性の人権の問題でもあって、 慰安婦の方々個人個人に、本気でお詫びできるか? そして、 過去の過ちを、本気で反省できるのか? 未来には、決して、同じ過ちを繰り返さない! そんな、全人類的な反省を、日本が先頭きってやれたなら、 日本もまだまだ、捨てたものじゃない・・・と、思えるかも。 私的には・・・ねっ。 慰安婦関連で、ブログはじめに載せさせて頂いたイラストは・・・ 水木しげるさんの「総員玉砕せよ!」という、戦記物の漫画の表紙です。 この漫画の冒頭、慰安婦の話が載っていたのです。 ちょこっと、説明と会話を、記させて頂きますねぇ~。 ~~~・・・~~~ 昭和十八年末 ニューブリテン島 ココボ 「おい お前ら なにしてるんだ」 「あ 上等兵どの」 「みんな ピー屋へいってんだ お前らも いってこい」 「みんなって・・・・・・」 「三浦が いるじゃあ ないですか」 「三浦がいるじゃあ ないですかって なんだ」「このやろう」 ビビビビン(ビンタの音~!) 「三浦は三回もピー屋にいって アゴだしてんだ」 「・・・・・・・はあ」 「お前らも いってこいったら いってくるんだ 五時までだぞ」 「はい」 「では 赤崎 丸山 ピー屋にいってきます」(敬礼!) 「うん」 「たった一日の休みだというのに 忙しいことだ」 「もう 五分しかねえぜ」 (小屋の前は長い行列~♪) 「なんだ この行列は」 「こりゃあ とても夜になっても 解決つかんぜ」 「おーい 早くしろーい」 「一人三十秒だぞ」 「皆さん もう五時ですからおしまいですよ」 「そんなこというなよ 御国のためだ」 「もう少し 営業しろい」 「もう体が もたないわ ・・・・・・」 「おめえたちゃあ 二 三日したら 病院船で 引き上げるんだろう」 「おらたちゃあ この島にのこって 死んじまうんだ」 「ねえちゃん あと七十人位だ がまんしてけれ」 「俺は さわるだけよ」けけけけ(笑い。) 「おらあ なめるだけだ」 はははは(笑い。) ♪ 私は くるわに 散る花よ 「それっ」(合いの手~?) ひるには しおれーて 夜にさく いやなお客も きらはれず 鬼の主人の きげんとり 私はなんで このような つらいつとめをせにゃならぬ これもぜひない 親のため ~~~・・・~~~ ・・・と、こんな感じです。 この物語の90パーセントは・・・事実だそうです。 慰安婦とは関係ないのですが・・・ 【あとがき】から、抜粋記載させて頂きます。 ~~~・・・~~~ (略) 事実はとなりの地区を守っていた混成三連隊の連隊長は、 この玉砕事件についてこういった。 「あの場所をなぜ、そうまでにして守らなければならなかったのか」 ぼくはそれを耳にしたとき「フハッ」と空しい嘆息(ためいき)みたいな言葉が 出るだけだった。 あの場所をそうまでにして・・・・・・・、なんという空しい言葉だろう、 死者(戦死者)に口はない。 ぼくは戦記物をかくとわけのわからない怒りがこみ上げてきて仕方がない。 多分戦死者の霊がそうさせるのではないかと思う。 1991年8月 水木しげる ~~~・・・~~~ お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
最終更新日
2017年01月09日 16時19分28秒
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