しゃしゃり出る2
しゃしゃり出るってのをもう少し考えてみると決して悪い人ではないのだ。おせっかいではあるだろうけど。ただ自分がしゃしゃり出てるときのことを考えてみると正しさに傲慢になってる。自分の考えた思い込んだ正義やあって欲しい姿が、仲間の力不足で負けてしまうように見えるのが許せないんだ。そういう相手に対して過保護といえばそうでもある。だけどやってる方は奉仕活動のような気持ち。だけど、、、相手からシャシャリ出られたときを思い出すとうっとうしい極まりなかった。前の会社で10年程前の話だけどこんなことがあった。当事者は優柔不断で決断も人任せなところがあったようでその後結婚した奥さんがしゃしゃり出てきてどう常識で考えても有り得ない勘違いな話で「騙されたんだ」と大騒ぎしだした。外出していたら全国の支社中に電話して嫌がらせまでしてきた。しょうがないからかなり遠方だったけど会いにいった。その奥さんはそのときの状況なんか見てもないのに旦那が言ってることを鵜呑みにして誤解の正義感振りかざし怒りまくってた。で、5時間も同じ話を延々としてるうちに、当事者自身が持ってる資料のなかから私の正しさを裏付けるものまで出てきた。それは明らかに私の話を裏付ける証拠だったのだ。さすがにその奥さんはアホでも有り得ないようなあまりにも自己中で非常識で自分の勝手な思い違いをしてるのは旦那だと話してるうちに薄々気づいた様子はないでもなかったが。それでも更に「だけどそれでも少なくともこの人はそう思ったんだから土下座しなさい」とか、、、たまらんかった。まあ、程度問題は別としてもしゃしゃり出るってのはまさにこういうことだなと自分の出すぎを考えるときには思い返す出来事だったりする。あ、話を戻すと、しゃしゃり出てる方は奉仕活動のような気持ちなんだけど第三者にはそうはみえないって現状。そして、それは哀しいかなかなり事実に近い評価でもあるかも。しゃしゃり出てくるのはあくまでも当事者では決してない人なのだ。決して当事者ではないんだけど当事者の言い分を丸呑みしてるという意味ではある意味妄想もある。しかし妄想も含めて絶対正しいと思ってしまってるからそういう意味では時には客観的問題解決には厄介なだけの存在であることもある。p.s.当事者が相談して来て自らの意思で援助を求めた場合に助けるのはしゃしゃり出るとは言わないと思うけど。まあそれでもその後、「助ける」というより前面に出すぎるとやっぱそれはしゃしゃり出てることになるだろうけど。