カテゴリ:まち
街を歩いていると、感じることがあります。古い街並みは心が和みますが、新しい街並みを歩いていても和みません。何故なのでしょう?どんな街でも古くなれば、だんだんと馴染んでくるのでしょうか?いいえ、そうではありません。バブルの頃、日本中の街が再開発を行い、古い街並みを取り壊して新しくなりました。あれから20年以上経ち、街は心地良くなったでしょうか?たとえば川崎の街ですが、金持ち日本を象徴するかのようにキラキラのステンレスを多用した清潔な街になりましたが、街を利用する人の心に馴染まないまま、昨年大規模に改修されています。巨額な費用をかけた街が利用者から慕われずにスクラップアンドビルドを繰り返されて行く様を見ていると。古くなれば馴染むものではないことが証明されているようです。心が和むような良い街並みは作ろうと思って作れるものではないようです。今、そこにある魅力に気付いて残して行くことが重要なのだと思います。良い街並みは「作る」のでなく「残す」ことなのではないでしょうか?僕の住んでいる墨田区でも、この1年で戦前から続く銭湯がなくなり、軒の低い木造の長屋がなくなり、数少ない貴重な巨木もなくなっていきます。防災、安全のため、道路は広く、家は不燃化するのは解りますが、街に潤いを与えてきた大事なものをどんどん無くしているのではないでしょうか?人は、生き続けることが目的ではないはずです。イキイキと生き続けなければ意味はありません。車の行き交う広い道は歩行者の空間では無く車のための空間になってしまいます。現在の建築基準法に適合した燃えにくい建築は通りに対して鎧のような表情を見せるため、人の交流を生み出しません。そういった弊害を理解せず、負の部分を補える工夫を考えずに古い街を壊すの行為は、街全体をジワジワと死の世界に引きずりこんでいるように感じます。記憶を失い、生きる楽しみを失った街は、まるで、寝たきりの認知症になっていくようです。
現代風水建築家?金谷直政 かなや設計 お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
最終更新日
2012年06月30日 14時42分39秒
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