秋たけぬ。
荒涼(すずろさむ)さを 戸によれば、枯れ野におつる 鶸(ひわ)のひとむれ 釈 迢空標題から続けて読んで下さい。これは久保くんが彼のhpでやっている、彼にとって切実な「折々の歌」みたいなものの、今日の歌。やっぱり迢空はすごいね。この叙景のすさまじさ。なんにも言ってないが、これが日本の歌の極致だ。要するに、ここには「こころ」など何も歌われていないということ、しかし、表現されていないのに「こころ」以外の何も感じられないということが、日本の歌の要だということ。この短章のすごさに匹敵するものはなにもない。なにもないけど、とぼくは思いを続けていくのか?「こころ」と「主張」は違う。「こころ」の曖昧さが「意見」なりテーマなりをいつでもしのいで鑑賞されるところには「歌」の未来はない、逆にテーマを「こころ」がしのぎきれないところには「歌」はあらわれない。とても難しい問題だとぼくは思う。迢空は生得の歌人にて凡人のまねぶべきところにあらず。正体を失うおそれあり。でもこわいものほど魅力的。