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ポケットの中にいつも少女

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2009.08.09
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カテゴリ:小説


今もマルチに活躍なさっている榎田尤利先生の、デビュー作にして代表シリーズの一が、書き下ろしも加え上製本上下巻で復刊しました。私にとっては今なお、榎田さんは「魚住くんの作者」であり、掲載時のエピソードと共に思い出深い作品であります。
クリスタル文庫版は約10年前に歯抜けレビューを書いてますが、この機にちょっと真面目にこの作品を振り返ってみようかと思います。

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収録作品 夏の塩 / この豊かな日本で / ラフィン フィッシュ / 制御されない電流 / 鈍い男 / プラスチックとふたつのキス / ハッピー バースデイ 1(書き下ろし) / 彼女のWine,彼のBeer / 月下のレヴェランス / メッセージ
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味覚障害の青年・魚住真澄は、学生時代の友人・久留米充のアパートに居候をしている。味覚を失ったのは、生きる意味を見失ったから? インド人の血を引く隣人サリームに、久留米の元彼女のマリ。日常に潜む生と死、悲しみと喜びの物語。

出版社より


全5巻の作品なので、上巻には3巻の半分までが収録されています。リアルタイムで全作既読の身としては、「無自覚から自覚への移行」という、うまいところで区切ったよな~、という感じです。

シリーズ第1作である表題作は、今はなき「小説JUNE」誌にて発表された投稿作です。当時「文学的」と評された事を覚えていますが、つまりは匂う程度で、昨今のBL作品のような具体的な恋愛は描かれていません。
全体を見通せば、魚住と久留米のラブストーリーに他ならないのですが、むしろ作者は、魚住の成長物語という枠を通し、様々な欠落や、それを埋めるに万能ではない恋愛や人との関わり、他の初期作品にもみられるジェンダー問題など、その他の部分が書きたかったのではないのかと思われます。

魚住真澄という主人公は、姿形だけは美しいですが、浮世離れした性格の陰に様々な欠落を秘めた青年です。あらすじに記されている味覚障害以外に、様々な神経症が表れては治り、治っては表れます。
上巻における症状は、本人の無意識下の要因によってもたらされる障害であり、ことに表題作は、その欠落を、魚住をいわば「無知の知」ならぬ「無知の無知」の状態のままにおいて、他者との関わりの中で浮き彫りにした作品でありました。
その中でキーパーソンになるのが、魚住の友人というよりも腐れ縁的な存在の久留米な訳ですが…

本作では、回が進む毎に男女含めて多数の重要人物が登場しますが、彼らの位置づけは「魚住の友人」というよりもむしろ「疑似家族」と言った方がしっくりきます。
魚住の欠落の一つに、「家族の喪失」があり、そこを埋める存在としての彼の周辺の登場人物が配されている訳です。
そう思って読んでみると、魚住の特異な個性は、むしろ個性ではなく「家族の喪失」に伴う「過去の喪失」がもたらした退化であり、アイデンティティが崩壊する以前に確立にいたっておらず、言わば羊水に浸かった状態で日常を営んでいるような乖離感があるのではないかと感じられました。

とはいえ勿論、魚住は本当の胎児ではなく26歳立派な男児であります。たとえ周囲から乖離しようとも、彼が1人で歩む人生は僅かながらも進んでいっている訳で、ことに文庫版第2巻の表題である「プラスチックとふたつのキス」などは他者、特に久留米に干渉されない「魚住真澄」という人物を表したものではないかと思いました。逆に、魚住にとっての久留米を際立たせた感もありますが。
他の登場人物たちとは明らかにスタンスの違う久留米という男によって、生まれいずる為の路に知らず導かれていき…しかし、久留米は一貫して魚住の「保護者ではない」。
他の登場人物により度々指摘されることでもありますが、この久留米という男、並外れて鈍感です。本人が鈍感たれと在る所もあるようなのですが、ガサツ、大雑把、様々に表現されながら、何よりもあらゆる事柄に対してニュートラルなのです。
それがどういうことなのか、というのは是非読んで実感していただきたいところですが、とにかく久留米は、非常識な魚住の世話を焼くことはままあれど、久留米は魚住を決して庇護されるべきものとして見たりはしない…魚住の絶対的保護者である母として彼の殻を破ることはしません。ましてや父になったりも。

出産と死は隣り合わせです。痛みと、多くの血が流れる中、苦しみを伴ってやってくる命…さちのという母を得て、「メッセージ」はそういう意味では何と分かりやすい魚住の産まれ直しのメタファーであることか。

そうして産まれ出た魚住の傍らにただ立ち、彼が自ら痛みを受け止める様を見つめるラストシーンに、胸が詰まりました。

歳を重ね何度も読み返すうちに、登場人物はもとより作者の青さにも気付かされましたが、それはそれでかまわないのだと。
理想的に過ぎて若干不自然な面のある彼らの人間関係や、彼らの若さ、青さこそに私は惹かれ、今なお胸に残っているのだと…読み返すたびに感じる稀有な物語です。
できれば最初は、10代のうち…もしくはなるべく若いうちに読んで欲しい一作だと思います。

本当の意味で歩き始めた魚住の物語はまだ続きます。


下巻「夏の子供」

ちなみに、「月下のレヴェランス」はインド人の顔をしたイギリス人、サリーム視点の番外編。「ハッピー バースデイ1」は他愛のない日常茶話ですが、意味深ですね。

サムネイルではマットな白い表紙に金の箔押しタイトルと黒で印刷された著者名のカバーのみ写っていますが、実際はフルカラーの黄色系描き下ろしイラストの幅広帯がかかり、花ぎれは赤と山吹、しおり紐も山吹、他も統一された非常に美しい本です。
そして、中のイラストも全描き下ろし…といっても、挿絵ではなく、カットと数点のイメージイラストという感じですが。
それはそれでとても美しいのですが、旧版にも今でも目を閉じれば浮かぶような印象的な挿絵もあったのに、もったいないなあ…
ちなみに、シリーズ完結記念のメモリアル本「I'm home~魚住くんメモリアル」にはほぼ全てのシリーズ関連イラスト及び表紙画等が収録されていたのですが、こちらの復刊予定はないのでしょうかね。





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最終更新日  2009.08.10 00:54:38
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