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子育て母さんで終わりたくなくて

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2006年12月29日
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テーマ:依存症。(262)
カテゴリ:父の闘病
昨日、テレビをつけたら、たまたま「高齢者のアル中」の特集がありました。

何となく最後まで見てしまって、懐かしいな~と思いました。


父もアル中でした。

父の場合、15歳からお酒を知り、ずっとずっと飲み続けてました。
60歳ごろから昼間も飲むようになり、母が苦労する姿を見てきました。


テレビに出ている人はアル中を自覚して、本人が治さなくちゃいけないと思って
見ていてとてもうらやましいものでした。

父は無理やりアル中のカウンセリングに連れて行って、
先生の診断を受けて、アル中と言われましたが、認めませんでした。


そして、何度説得をしても「治療をする必要はない」と意地を張りました。
父に言わせると、酒をやめる理由がないからでした。


アル中のために、階段しかない団地の5階に住んでいた父は
階段の上り下りで転倒、道端で転倒、転倒、転倒…

病院に運ばれては、そのたびに私が呼び出されてました。
あわてて病院に行くと、顔面から倒れて、顔は血だらけでした。

退院してはまた転倒して救急車で運ばれるの繰り返し。
毎週のように病院から呼び出しの電話がありました。

それも夜なので、小さい子どもがいる私には苦痛でした。


転倒する際には必ず酒気おびて、酒を必ず持ってました。
買い物(酒)の途中だったわけです。

母を3年前になくして、かなり寂しかったんだと思います。


アル中の患者は幼少のころに親の愛を受けられなかったなど、
何かしら心に傷を負っている人が多いとのこと。

父は次男で、幼少のころから祖母から「予備の子」と言われて育ったそうです。
実際に乳母さん(当時は坊ちゃんだったとか)に育ててもらった父。

そんなかわいそうな過去を知っていても、どうしてもアル中に理解を示せませんでした。


アル中のカウンセリングで「アル中は『病気」です」と明言されました。
「病気」なら治るのか…と思ったけど「完治」しないと言われ、
さらには遺伝するといわれて、ぞっとしました。

父の両親は酒豪で、伯父も大酒のみでした。

その血が自分にも流れていることに、おぞましさを感じました。

幸い、母が酒を飲まない人だったので、その血も半分、わが身に流れていることで
精神的にも救われました。


乳飲み子だった長女を連れて、アル中のカウンセリング、
そして夜はアル中の患者の家族会に3人の子どもを連れて行ったこともあります。


父がアル中じゃなければ、もっと父とのかかわり方は違ったと思います。
アル中で、まともな会話も出来ず、日常生活もできなくなった父を
情けなく思い、これが自分の親と思いたくない…
そんな思いの毎日でした。


実家から介護つきの賃貸マンションに無理やり引っ越しました。
3回の食事つきで、友だちができたら酒の量が減るだろう…
そんな思いでしたが、現実は甘くありませんでした。

電話でなじみの酒屋に電話して、毎週のようにケースでビールや焼酎を買い込んでました。

足腰が弱っていたので、現金管理は私が預かり、病院代などをわたしていたのですが、
そのお金はすべて酒代に消えました。

毎週、毎週、電話があるときは必ず
「お金がなくて困ってます」「連絡ください」
と酒代を要求されました。

すべてのお金を酒に使い、使うべき病院代がなくなり、
父は病院に行くことはありませんでした。
少し大目のお金をわたしたら、その分だけ酒を買うことが目に見えていたからです。

父のお金とはいえ、身体を壊して、大量のお金が酒代に消えて
けんかばかりしてました。

電話がかかってくるときはお金の要求しかないので、
着信拒否をしたいと何度も思いました。

マンションのヘルパーさんから身動きができなくなっても
酒を飲んでいるようだと連絡をもらったり
引っ越してもなお、私の苦悩、苦痛は減りませんでした。


昨日見たテレビで「死んでほしい」と家族の人が言ってましたが、
私にはその人の気持ちが痛いほどよくわかります。

私もずっとそう思っていたからです。

このまま父が希望を一つも持たずに余生を生きることはかわいそうで、
また、私がこれだけ振り回されることには我慢の限界でした。


そんな父との関係を見直そうとしたのが、肺がんの発見がきっかけでした。

これで父から開放される…そう思いました。
「がん」と知って、悲観にくれることはありませんでした。

パーキンソン病、軽い認知症で肺がん。
この3つの病気との付き合いは、私も手伝う気持ちにはなれましたが
アル中だけはいやでした。

幸い、がんの治療のためにたくさんの検査や治療をするために
入院生活が始まったので、父はアルコールから解放されました。

毎月4万も酒代に消えていた計算になります。
入院生活は高額医療費の対象になったため、入院していたほうが
お金の減りが遅かったです。


アル中は、本人だけでなく、まわりを巻き込む病気だったな…
改めてそう思います。


何だかあれこれ考えているうちに、まとまらなくなったので、
この辺でおしまい。


















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最終更新日  2006年12月29日 11時08分38秒
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