正しさの基準
心が苦しい人の多くは、自分が正しさを生きていないと思っています。正しくない自分がダメだと思うから苦しいということが多いのです。 でも、論理的に考えて、絶対的な正しさというものは存在しません。 正しさというのは、目的ごとにあり、目的は意志ごとにあります。 意志ごと、それは、人それぞれが別々の正しさを持っているということです。 すべての人の目的は幸せですから、自分にとって幸せを感じさせない正しさというのは、見直していいのです。 たとえば、同性愛者の男性が、見かけは男性だから男らしく生きることが正しいという世間一般の正しさに従おうとしたら、苦しい生き方になります。 自分にとっては、女として生きるのが正しいと決め、その自分の正しさに従って生き始めたとき、生きるのがラクになります。 わかりやすいようにこんな例をあげましたが、このことは、私たちの持っている正しさすべてに言えることなのです。 ただそのときに自分をどのような存在だと認識しているか、つまり、マズローの欲求段階説のどの欲求レベルにいるかでその正しさが周りと調和するかどうかが変わってきます。 しかし、それがどの段階であれ、自分で体験し、欲求レベルを自己実現、自己超越へと進めていく必要があるのです。 お釈迦さまの戒律は、そのための指針だったんですね。 ■今回のブログはいかがでした?(^-^) 『まあ、いいんじゃない(^^)』と思われたら、 ランキングボタン↓を押してね(^^)♪