偽りの自分
先日(Mar 6, 2008)、自分と感じている自分には、本当の自分と偽りの自分の二人いるということの説明に根本橘夫著「人と接するのがつらい~人間関係の自我心理学」からの人と接するのがつらい引用を載せたところ、「打ち間違いではないか?」という質問をいただきました。確認したところ、打ち間違いではなく、正しい引用でしたが、私の引用のしかたが悪く誤解を招いたようです。本の説明は、偽りの自己が自分に取り込まれて共依存になっていく状態の説明ではなく、通常の反抗期を経て、自己確立をしていく段階の説明でしたが、そのあたりをはっきりさせていないかったので、わかりにくくなってしまいました。すみませんでした。m_ _mしかし、このような疑問やまた正しいと理解されるレスなどがいただけるのは、読者の方がブログを深く真剣に読んでくださっている結果だと思います。たいへんうれしく思います。これからも、よろしくお願いします。{}の部分で私の注釈を補足して再度引用しておきます■ ------- 引用開始 なぜ人の目が気になるのか 人の目を気にするようになる起源は、親の養育のしかたにあります。なかでも中心になるのが、子どもに対するしつけです。 しつけとは、自分の心や行動を、親の目で見ることを子どもに求めることです。また、自分の感覚や感情には価値がなく、親の感じ方や感情にこそ価値がある、と子どもに強制することでもあります。(P85)子どもの善悪の判断とは、まず親の判断そのものになります。(P86) 自分が大事にしているおもちゃを、乱暴な友達が「貸して」と言ってきたとき、壊されるかもしれないので「イヤ」と言うと、「貸してあげない子はいじわるよ」と叱られます。このとき、この子どものおもちゃを大事にしたいという自分の心は、否定されてしまうのです。 親の目で自分を見ることは、自然に子どもの心に内在化されていきます。すると、私たちの心は、監視する自己と、監視される自己とに分かれていきます。そして、もはや監視する自己の起源を意識することはできなくなります。(P86) そして、{通常、反抗期などを通して自己を確立していく過程において}しだいに外界に適応している自分は嘘っぽく感じられ、適応していない部分のほうが本物の自分のように感じられるようになります。こうして、自己は「偽の自己」と「真の自己」とに分かれていきます。(P88)------- 引用終了 ところが、共依存症の場合、この「偽の自己」と「真の自己」との分離がうまくいかず、反抗期らしい反抗期もなく、いつまでも親の良い子でいることがあることがあります。女優の東ちづるさんの「〈私〉はなぜカウンセリングを受けたのか」〈私〉はなぜカウンセリングを受けたのかという本もそのような状態のお話ですね。こうなると、期待に応えて良い成績を達成しても達成感という充実した気持ちもあまりなく、人から褒められても充実感が感じられなくなったりします。 それは本当にしたいことを心の奥に抑え込んでしたくないことをして、本当にしたいことをしていない、本当の自分を生きていないからです。 ■今回のブログはいかがでした?(^-^) 『まあ、いいんじゃない(^^)』と思われたら、 ランキングボタン↓を押してね(^^)♪