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カテゴリ:その他
ここ数日、ネットでLGBTに関する意見を取り上げた記事が目に付く。
今、国会でこれに関する法案が話題となっているからだな。 賛成、反対と意見はあろうけれども、気になるのは反対の声を上げると炎上するというもの。 どうも、反対すると少数者に対する差別になるらしい。 そうやって反対意見を上げるごとに炎上していったら、反対の意見というのは表明しにくくなるのは当然のこと。 まさかとは思うが、こうやって反対の意見がなくなったから賛成なのだとか言うわけではあるまいがな。 これはもう立派な言論弾圧だ。 反対の意見に対して差別と言うなら、何がどう差別になっているのかを明らかにする必要があるのではないか? それを示さずにただ「差別だ」と言うのでは指摘された本人も何をどう反省し、改善したらよいのか分かるまい。 まさか、「そんなことは自分で考えろ」とか言うわけではないよなあ。 差別的な意見、表現があるのであれば、それを具体的に指摘して、それがどういう理由で差別に当たるのか、きちんと説明するべきだ。 そうだな、巷で差別だと言われている事例としては大きく二つあるようだな。 これはLGBTの中でもTに関する話。 Tについては「身体的な性別と精神的な性別に乖離が生じているもの」ということでよいかと思う。 端的には「体は男性であるけど、精神は女性である、またはその逆」ということだな。 一応これをTの定義として話を進めるが、違うというのならどう違うのか具体的に説明してほしいな。 で、問題となる事例としてはまず、スポーツの話。 Tの選手が精神的な性のカテゴリーで大会等に出るということ。 特に、身体が男性の場合に問題になるようだ。 本来、肉体的には男性の方が圧倒的に有利なので、精神的女性が女性のカテゴリーで大会に出場すると、身体的女性に対して有利になってしまうということ。 なので、西欧では精神的女性が身体的女性のカテゴリーの大会への出場を認めないとなったようだ。 これが差別だと。 もう一つは、日常的な問題で、精神的女性がトイレや公衆浴場で女性用を使うことに対する身体的女性からの不安や心配の訴え。 そんなことを訴えるのは差別だと。 憲法に性別による差別は認められないとあるが、これに精神的な性別も含めろというのが賛成側の主張だったな。 これ、難しいよな。 本人が「体は男性だけど、心は女性だ」ということ自体は別に否定することではなかろうけど、「心が女性だから女性用の施設を使わせろ」というのはまた別の問題だと思うのだがな。 私はこの問題はLGBTを一括りにして議論しても仕方ないと思っている。 だって、ここに出ているのはTの問題だもの。 なので、話をTに絞ってやらないと混乱するだけだ。 Tの問題については「思うのは自由、だけど対応はそうもいかない場合がある」ということではないかな? まあ、そもそもこの問題をツイッターだのとかでやろうとするから言葉足らずな話になってしまう。 いずれにしても、まずは問題点と、それぞれの主張の論点をしっかりと整理してからやらないと、いつまでたっても話は進まないと思うぞ。 お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
最終更新日
2023年03月07日 05時56分19秒
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