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以前「私は差別主義者だ」と書いたことがあるように思う。 これだけ書くと、なんかどうなんって感じになってしまうんだが、多分、女性差別の件で書いたんだと思う。 どういうことかというと、男性と女性にはそれぞれに役割があるという話だったかと思う。 昭和もまだ中頃というと、女性の社会進出というのは一般的ではなかった。 女性は高校を出たら就職というのが一般的で、働くのも結婚まで。 結婚したら主婦として家庭を切り盛りする、というのが当時の考え方と言ってよかっただろう。 もちろんこれは男性の稼ぎで十分に暮らしていけるという前提の下に成り立っていたわけ。 時代が進んで、平成、令和ともなると男女平等の名の下に徹底的に男性差別が行われてきたわけだ。 かつては女性というだけで、会社での昇進はないに等しかった。 政治の世界も同様で、女性が議員になるというのはほぼなかった。 その反動が平成、令和にやってきたわけ。 だけど、これは「女性」というだけで昇進させたり、議員になったり...いや、議員はちょっと無理だな、だけどことさらに女性を立候補させるという現象はあると思う。 だけど、男性と女性には生物学的に明らかな差がある。 これには異論があるまい...いや、令和の時代はそれもあいまいになりつつあるか。 が、今のところは異論はあるまい。 どうしても子どもを産むのは女性なのだ...今のところな。 その子どもを産む時期には相当な負担が女性にはかかる。 そして、産後初期の子育てはどうしても女性が中心になる。 生物的に見て、子どもに栄養を与える、つまり授乳するのは女性。 今はミルクがあるじゃないかというかもしれんが、生物的に見て男性には授乳機能はない。 さらに体力的に見ても、どうしても男性の方が優位にある。 個別のケース、例えば吉田沙保里はどうなんだ?という話ではない。 知能的には...これはなんとも言えないな。 なぜなら社会的影響があると思うので。 女性にも切れる人はたくさんいるからな。 一般的に女性は右脳を良く使うのに対して、男性は左脳を良く使うと言われている。 その機能の差により、男性は論理的、女性は感情的と言われるのだが、これはやや疑問あり。 とはいえ、社会生活において、男性と女性が同様にできるのかと言われるとそれは無理。 だから、それぞれに見合った役割を果たそうというのが私の主張だったわけだが、それは一般的にみあると女性差別になるらしい。 だから「私は差別主義者だ」と書いたわけ。 男女に限った話ではないが、それぞれに能力差があるのは明らかであり、それを平等に扱うというのは逆に差別にならないか?ということだ。 それぞれの能力に見合った役割を与えていけばいいと思うのだが、それを類型化するとやはりおおきく 男女は分けられるということだ。 だからと言って、女性が社会進出することに反対しているわけではなくて、「女性だから」という理由で優遇する必要はあるまいと言っているだけだ。 まあ、「差別」という問題に関してはこれだけではなく、真面目に論じ始めたらとても1日で終わる話ではないので、またどこかでちょくちょくと書いてみようと思う。 お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
最終更新日
2023年10月08日 06時02分47秒
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