カテゴリ:国際政治
ウクライナ問題あれこれ (4)
< 和平交渉 > 急に和平交渉を巡る報道が、難航から急進展に変わってきました。ネット時代の報道ですから、日本の報道姿勢の問題ではなく、実際にロシア、ウクライナ双方の姿勢に変化がみられるようですね。ロシア側の姿勢の変化が大きいようですね。 さすがのワンマン大統領も、国際的な包囲網にあって、経済制裁がが今後も長期に継続される事態の深刻さに気付いたこと。欧州側のスクラムが予想に反して当分崩れそうないこと、中国の支援も期待の半分程度に留まる事などに気づき、軍部や側近、さらには財界からの早期停戦による名誉ある撤退を進める忠告に、耳を傾けざるを得なくなったのでしょう。 いうならば「遅かりし 由良之助…」ですが、評判の悪すぎる戦争をさらに続けるよりは、ずぅーとマシです。和平が実現することを、皆様とご一緒に待ち望みたいと思います。 < ウクライナ戦争で、最も漁夫の利を得るのはどこか > これは衆目の一致するところですが、イランです。「核合意」の復活に向けて交渉中ですが、対露制裁で不足が目立ち、冒頭を続ける原油相場を冷やす最大の隠し玉が、イラン産原油も国際市場への登場です。世界でも5指に入るイラン産原油の再登場は、ロシア産原油の禁輸措置に踏み切れない欧州諸国に、最低限ロシア産原油の購入制限を飲ませる上で欠かせないからです。 アメリカは、イランとの合意に向けて、さらに一歩踏み込んだ譲歩に出るでしょう。ただ、アメリカ側の足元を見て、イラン派交渉条件をつり上げてくる可能性もありますから、この点では注意が必要ですが… < 歴史の続き > ロシアとクリミア半島を繋ぐ位置にウクライナがあります。クリミアを領有したロシアは、大国化の過程で、ウクライナもその支配下に加えました。ただ当初その支配はゆるく、貢納の義務を課しただけで、ウクライナ人による自治政府の存在を認めていたので、両者の関係は円滑だったのです。この蜜月は、ロシア革命によって、ソヴィエト政府が誕生したことによって、崩れます。 ロシア革命は西暦で1917年3月(ロシア歴では同年2月… ロシア歴に13を加えると西暦に、西暦から13を引くとロシア歴になります)、即時平和を求める兵士たちとパンと平和を求める首都の人民によって始まりました。その兵士と民衆が結集したのがソヴィエトでした。ソヴィエトは社会主義者が圧倒的多数を占めていましたが、ソヴィエト内には穏健派と急進派がおり、当初は穏健派が多数派でした。 穏健派は、今のロシアは社会主義を実現するほど経済が成長していないので、先ずはブルジョワ自由主義者の政府に、閣外から協力する形が望ましいと考えており、ただちにソヴィエトが権力を握るべきだとする急進派と一線を画していたのです。 所用が出来ましたので、続きは後程 続く お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
[国際政治] カテゴリの最新記事
|
|